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作品紹介
だるまの詩
陶板レリーフ「だるまの詩」 原画・監修:福沢一郎
JR東日本 高崎駅 西口外壁 1982年6月完成
福沢一郎洋画家 近頃だるまはすっかり高崎の名物になった。選挙の時に政治家達は、きそってだるまの眼を入れたがる。
私は陶板の原画の依頼を受けた時、高崎駅はだるまに限ると考えた。この陶板もやがて出来てくるが、その出来ばえが大変気になる。
私は陶板を次のように工夫した。それはだるまを主役にして、画面一杯に散らばらせておいた。その背景には何も殆どないが、ただ高崎市のアウトラインを示す線で描いた部分と、そのバックに榛名、赤城両山らしい山なみを添えただけである。
問題のだるまは、面白く見せるためには、さまざまの表現を持たせる必要がある。喜怒哀楽の個性的感情をそなえただるま達が、陶板の中から高崎駅乗降の御客に、愛嬌を振りまくという趣向が面白いと思う。ようこそ群馬へというわけである。
美術評論家
植村鷹千代
『ユーモアと幻想が織りなす福沢芸術の誕生』
新装完成してオープンした高崎駅西口のシンボルとして、福沢一郎画伯の原画による大壁画が飾られることになったという。
壁画の原画をカラー写真で見せてもらったが、背景に上毛三山を遠く描き、前面には高崎ダルマの群像を面白く擬人的な感じに構成した愉快な壁画である。この原画を見た瞬間、「これは見事なアイディアだ」とおもった。渋谷駅前広場の「ハチ公」のように、「ダルマの前で」という合言葉で、有名になるだろうとおもう。主題も的を射ているが、この主題を選択した作者も適役である。
福沢画伯は、同県出身の文化功労者として有名な長老大家だし、東京駅のステンドグラス壁画の作者としてすでに国鉄とも縁があるし、壁画の制作では近年とくに制作歴の豊かな大家である。高崎ダルマも、その由来はともかく、近年政治家連が選挙毎に縁起をかつぐのか、愛用が流行しているので、脚光を浴びて有名度が上昇している。
福沢画伯は、戦前に日本の美術界に、シュールレアリズムの美術運動をリードした先駆者としてよく知られているが、戦後は、インド、アマゾン、オーストラリアなどの辺境を好んで旅し、人間の素朴な生態や文化の遺跡の探訪から取材したヒューマニスティックな主題による壁画的大作を描き続けてきた異色な大家である。
このタルマの壁画作品においても、ダルマの群像を擬人的に扱った構図には、生命的なリズムがあり、ユーモアのある不思議な幻想的フンイキが感じられて、福沢画伯一流の特色が躍動している。
前述の東京駅の壁画は、素材として、未開拓のステンドグラスを活用したものであったが、今回は有田焼の陶板特有の素材の表現力を活用するという。この辺にも、つねに新しい意欲に燃えるこの画家らしい面目が見える。多くの人に喜ばれ、愛される名物になることを期待したい。
高崎市長
沼賀健次
高崎駅の駅前広場を見おろす位置に、大きな「だるま」の壁画ができました。
笑ったり、怒ったり、喜んだり……いろいろな表情のだるまで、作者の福沢一郎画伯は、人間の喜怒哀楽を表現されたのだそうです。表情豊かなだるまたちが、市民の集まる広場で、何かを語りかけるように見つめています。子どもからおとなまで、誰からも親しまれる絵柄で、高崎駅前の広場を飾るにふさわしいテーマであると思います。
原画をお描きくださった福沢一郎画伯は、地元群馬県の御出身でいらっしゃるばかりでなく、国内はもとより、世界的にも有名な大芸術家でいらっしゃいます。こうした超一流の作家によって、このようなすばらしい壁画が公共的な場所に設置されましたことを、たいへんうれしく思っております。この壁画が高崎駅の、高崎市のシンボルとして、また市民の誇りとして、永く愛されることを心から期待しています。
彫刻
1997年 10月
JR東日本 高崎駅
「幸福のだるま」 (57m)
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鋼板モニュメント
1998年 3月
高崎市庁舎
「HELIX-983T」 (723m)
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