JR西日本 新山口駅(旧 小郡駅)「秋吉台の四季」
あきよしだいのしき
ステンドグラス

ステンドグラス「秋吉台の四季」 原画・監修:宮崎進
JR西日本 新山口駅(旧小郡駅) コンコース 1980年6月16日完成 原画を見る

制作風景

作家より

宮崎進洋画家 この度、小郡駅のステンドグラスの原画を制作することになり、山口出身の私としては大変光栄に思っています。かつてヨーロッパ遊学中には、シャルトル大寺院やケルンの教会などのステンドグラスを見て感激しましたが、実際にその原画を描くとなると、初めての体験からくるとまどいやモチーフの選定にいろいろと苦労をしました。しかし、壁画家のルイ・フランセンさんの親切なアドバイスと熱心な協力で、ようやく完成できたことに言いしれない喜びをかみしめています。ステンドグラスの生命は、やはり透明感のある色彩と全体の構成力にありますが、この点にもっとも注意した私としては、満足のいく仕事ができたと思っています。日本にも、(財)日本交通文化協会のように公共壁画を推進する団体があることを知って、大変嬉しい思いです。この作品がたくさんの人びとの目に触れ、感動が深く心の奥に刻まれることを期待します。

制作ノート

「秋吉台の四季」ができるまで

 鉄道ファンに根づよい人気のあるSLが、小郡―津和野間によみがえり、大いに話題をふりまいていますが、国鉄では地元山口の観光PRに大いに貢献したSLの営業運転を記念し、旅客及び地域住民の皆さまにとって何か潤いになるものを創りたいという強い希望がもちあがってきました。これまで東京駅をはじめ、新橋駅、京都駅、仙台駅などの構内に大家芸術家による高水準の公共芸術を手がけてきた(財)日本交通文化協会では、小郡駅のために環境美化を兼ねた大ステンドグラスの制作に向けて第一歩を踏みだしました。今からおよそ2年前のことです。
 原画をどんな作家にお願いしようかというのは、まず最初の大きな難問でした。わたくしたちは、大衆に親しまれる地域色豊かな作品を志向していましたから、山口の風景や四季に精通しておられる作家で、ステンドグラスの原画ということから洋画家がふさわしいと考えました。その他、さまざまな条件を考えあわせ、最終的に宮崎進先生にお願いする他ないという結論に達しました。ステンドグラスという未知の分野に対する困難さ、期限の問題があったにもかかわらず、宮崎先生が公共芸術の趣旨をよくご理解くださり、快く引き受けてくださいました。
 宮崎先生は、かつて滞欧中に各地のステンドグラスの華麗な美を直接肌で感じたご経験はお持ちでしたが、自らその原画制作に取組まれるのは初めて。画伯はまず、ヨーロッパの芸術的風土とわが国の芸術的風土の相違から出発されました。現代ヨーロッパで制作されているステンドグラスは、線やかたちの美を強調した抽象的な図柄が主流で、中世の教会に見られるように、キリストのドラマを描いた具象的な図柄は見られなくなっています。かといって、ヨーロッパで流行しているものをそのまま導入しても、それは決して日本人のための独自な作品にはなりえないでしょう。設置される場所が、一般大衆の行き交う国鉄の駅であることも、原画制作における基本テーマになりました。こうした模索の中で「秋吉台の四季」が描かれたわけですが、宮崎先生は、原画について次のように語っておられます。「山口の風物を中心に具象的な題材を採用していますがステンドグラスの生命である光の透明感が十分生かされる工夫しました」
 約6ヶ月は、純粋に原画制作のためだけに費されました。アトリエのある鎌倉から山口まで、幾度もの取材旅行が繰り返されました。故郷の風物とはいえ、記憶や書物に頼らず、自らの眼で納得のいくものを絵にしたいという宮崎先生です。そのため他の仕事が中断を余儀なくされ、文字通りステンドグラスに没頭する日々が続いたとのことです。この間、描きあげられたエスキス(下絵)の夥しい量が、先生の熱意の深さを語っています。原画はこうして何度も何度も手直しされ、ステンドグラスの工房に渡される直前まで入念な検討が重ねられました。
 本作品にはヨーロッパ直輸入のアンティックグラスが使用されています。これは、ステンドグラスのために特別に製造される手づくりのガラスで、光の屈折や色の透明感の点で大量生産されるガラスとは違った特殊な味わいを備えています。今回は、かつてシャガールが採用したものと同じ、フランスの工場で作られたアンティックグラスが大半使用されているのも特筆すべき事柄でしょう。

作品によせて

宇部興産株式会社 取締役会長
中安閑一
 このたび、小郡駅コンコースを飾るみごとなステンドグラス『秋吉台の四季』が完成をみましたことは、まことにご同慶の至りであります。
 新幹線の開業以来、山口県の表玄関となった小郡駅頭に芸術の香り高い大作を掲げて、ここを訪れる多くの人々にこれを鑑賞していただくという本企画は、まさにわが意を得たものであり快くこれに協賛させていただいた次第であります。
 故郷山口を象徴する秋吉台を描いたこのステンドグラスが自然光を通して映し出す四季折々の色彩の美は、いつまでも人々の心をなごませ豊かにしてくれることでありましょう。地方の時代といわれる今日、地域社会と共に歩いてまいりました当社といたしまして、このような地方文化の向上にいささかでもお役に立つことを喜びとし、またこれからもできる限りの努力を続けてゆきたいと存じます。
 終りにこのステンドグラスの制作に当り郷土出身の宮崎進画伯、前・広島鉄道管理局長江島淳氏ほか関係者のご盡力に対し敬意を表すると共に、厚く御礼を申し上げご挨拶といたします。(昭和55年6月)

美術評論家
植村鷹千代
 今回、山口県の小郡駅に設置されるステンドグラス壁画を、山口県出身の宮崎進さんが制作することになったという。原画と制作中の作品を写真で見たが、色彩に独特な個性があり、感覚の新鮮な画家だけに、「秋吉台の四季」をテーマにして構想を練った壁画は、新鮮味のある構図と、持味の色彩感覚の目立つユニイクな画面になっている。

 宮崎進は、現在50歳半ばの、もっとも脂ののった気鋭の画家であるが、画歴を要約すると、1922年に山口県に生れ、戦時中に日本美術学校油絵科を卒業したが、軍隊に入り、4年間のシベリア抑留生活を経験している。1950年に帰国、それから激動する戦後の美術界に登場したが、1959年には光風会々員になり、1966年には日展で受賞、翌年の1967年、第10回安井賞展で「見世物芸人」が安井賞を受賞して、一躍、新鋭画家として画壇の地位を確立した。当時の安井賞は、とくに有力な登龍門であったから、このような急速な画壇への登場ぶりは、この作家の優れた才能の証明であったといっていいだろう。

 その後団体を離れ、無所属の一匹狼として精進を重ねていたが、1972年から2、3年間、日本の画壇からも離れて渡欧し、主としてパリのユダヤ人地区の職人や女芸人たちの住居街に好んで住み、独特の哀愁と幻想を強烈に印象させる女芸人シリーズを制作して帰国、東京の個展で発表して好評を博した。作風の魅力には、特有の色彩構成がかもし出す独特のムードがある。その点、この画家は、たいへん個性的なカラリストである。
 今回のステンドグラス作品においても、そのカラリストとしての感覚が注目すべき特色になっている。彼自身の言葉のなかからも、ステンドグラスの透明感のある色彩に挑戦する感激とファイトを感じていることが読みとれる。

 半抽象的な画面のなかに、鍾乳洞の入口らしい形があったり、鳥の形があったり、草や花のような形があって、秋吉台の四季の風情が、緑と朱赤や薄い黄色や白っぽい色などの、寒色と暖色による不定形な色彩の構成で、一種の色彩のアラベスクとして表現されている。これが透明なステンドグラスの色彩で仕上ったときには、すがすがしい自然の四季の色彩を感じさせるだろうとおもう。(昭和55年6月)

前・広島鉄道管理局長
江島淳
 戦後、著しい成長を遂げたわが国は、今やおしもおされぬ世界の一等国の仲間入りをしたわけですが、確かに工業力や経済力ではトップレベルに達したといっても、文化面においては諸外国に学ぶ点も多いと思います。たとえば、外国では公共建築物には必ずといっていい程、壁画や彫刻などの公共芸術が置かれていますが、わが国ではこの種の作品はまだまだ少ないというのが現状です。私は、以前鉄道を舞台に土木・建築関係に携った者の一人として、公共の広場の代表ともいえる国鉄の駅構内に芸術度の高い公共芸術をと考えておりましたが、中安会長・水野社長を始めとする宇部興産の皆様、原画制作に当った宮崎先生、又企画制作を担当した(財)日本交通文化協会の皆様の絶大なる協力により、この度小郡駅に立派なステンドグラスが設置されることになり、元鉄道人として、又山口県出身の私として心から嬉しく思います。山口の名勝地や名物を図柄であしらった本格的なステンドグラス作品ですが、これでSLやまぐち号に続いてもう一つ名所ができたことになり、二つともに私が関係できたことは大変幸運なことと喜んでおります。山口県がもつ高い文化の香りを、より多くの人びとに感じていただけることを心から期待し、又これを機会に公共芸術がもっともっと増えてゆくことを期待します。(昭和55年6月)

作品データ

原画・監修宮崎進 企画日本交通文化協会、広島鉄道管理局(企画推進)
場所JR西日本 新山口駅(旧 小郡駅) コンコース マップ 協賛宇部興産グループ
設置時期1980年 6月16日 ニュース
種類ステンドグラス
サイズ縦4.0m × 横7.8m
キーワード秋吉台

作品データ

原画・監修宮崎進
場所JR西日本 新山口駅(旧 小郡駅) コンコース マップ
設置時期1980年6月16日
種類ステンドグラス
サイズ縦4.0m × 横7.8m
キーワード秋吉台
企画日本交通文化協会、広島鉄道管理局(企画推進)
協賛宇部興産グループ
ニュース

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