国際瀧冨士美術賞 第26期受賞者
野口 俊介 NOGUCHI Shunsuke

国際瀧冨士美術賞 第26期受賞者:野口 俊介

国際瀧冨士美術賞 第26期受賞者
野口 俊介 NOGUCHI Shunsuke

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インタビュー

きらめく尖塔、艶めく森。キャンバスが切り取った景色に降り注いだ光が、西から東へと移ろう。野口俊介さんが描く風景画は、光の流れが見えるかのようだ。第26期(2005年)の国際瀧冨士美術賞を受賞した野口さんは当時から一貫して「光」を追い求め、その表現技法を進化させてきた。現在は次世代の育成にも力を注ぎつつ、自らの奥行きを広げ続けている。(聞き手・上杉恵子、取材日・2019年8月、初出『国際瀧冨士美術賞40年(2020年刊行)』)

美術の道への渇望

野口俊介
野口俊介さん 2019年8月、日本橋三越本店で開かれたグループ展「惑星-PLANETS-」会場にて

——子どもの頃から絵が得意でしたか?

 美術と接点がある環境に生まれ育ったわけではありません。両親が共働きで、兄とも6歳離れていたため、家では自然と1人で絵を描いて過ごすようになりました。紙と鉛筆さえあれば何時間でも遊んでいられるほど、描くことに夢中になっていた記憶があります。
 成長してからも絵に対する情熱は薄れず、画家になりたいという夢を抱き始めました。しかし、「芸術の道では食べていけない」と両親に反対されたこともあり、高校は普通科に進みました。

——入学された札幌北高校は北海道でも有数の進学校ですね。

 当然ながら周囲は受験一色で、親からも北海道大学進学を期待されました。そんな中、1年の夏に何となく美術部を覗きに行って、そのまま入部してしまいました。初めて出会った油絵の透明感に魅せられ、そのまま引き返すことができませんでした。
 その後、全国高等学校文化連盟の全道美術展でほかの高校生の作品を目の当たりにし、自分とのレベルの差にふつふつと悔しさがこみ上げてきました。勉強で負けてもあれほど悔しくはない、「ああ、自分はこの道に進みたいのだな」と自覚した瞬間でした。
 美大に進む覚悟を決め、親の説得に挑みました。「まずは誠意を示さなければ」と新聞配達を始め、美大予備校の授業料を捻出しました。毎朝早起きしているうちに本気度が親にも伝わり、2年の夏から本格的に準備に取りかかることができました。
 国公立しか考えていなかったので、なるべく北海道に近い大学となると当時は東京と金沢しか選択肢がありませんでした。予備校の授業が金沢美術工芸大学の試験内容と相性がよかったので自ずと受験校が決まり、首尾良く合格することができました。美術部員の美大進学実績はそれまで皆無で、学内でも異色の存在でした。

——進学が縁で移り住んだ金沢に、いまでもお住まいですね。

 創作活動を続けるうえで、金沢は素晴らしい環境です。市民が美術に理解と関心があり、応援してくれます。地元の作家同士の距離が近く、画材も手に入りやすい。北陸新幹線が開通してからは、作品発表の場である東京とも近くなりました。
 大学に入った頃はちょうど、現代アートの黎明期でした。多くの美大がその潮流に率先して乗っていましたが、金沢美術工芸大学は比較的従来の枠組みを守っていました。入学後も油絵具で理想的な発色を追究していた自分にとっては、それも幸運でした。
 大学院を出たあと、中高一貫校の美術教員として名古屋に赴任しましたが、1年で金沢に戻りました。専任教員だったので時間に余裕がなかったこともありましたが、やはり金沢という土地が創作に最適だとよく分かったからです。

踏み出す勇気をもらった受賞

——国際瀧冨士美術賞に応募したきっかけは?

 指導教授の勧めがあったからですが、「ダメもとで、これにも出してみるか」という気持ちでした。自分の作品が学外でどう評価されるかを試したくて、さまざまなコンクールや公募にトライしましたが、見事に全滅。現代アートの風が吹きつける中、敗戦続きですっかり自信を失っていたのです。
 ところが、思いもかけず受賞の知らせがあり、とても驚きました。初めて賞をもらえたことは、そのときの自分にとって大きな励みになりました。「地味な作風でも、きちんと評価してもらえるのだ」と、最初の一歩を踏み出す勇気をもらえました。あのとき受賞できていなければ、今の自分はいなかったことでしょう。

prologue
『prologue』2005年、第26期国際瀧冨士美術賞応募作品、第91回光風会入選作

——応募時の小論文には「創作のテーマは光の表現」だと書かれています。

 それはいまもずっと、変わっていません。当時は人物が作り出す光と影や、廃墟に漂う独特な光に惹かれていました。長崎県の軍艦島をはじめ、あちこちの廃墟を訪ねては、そこに女性を佇ませた構図を描いていました。光も色彩も今よりかなり濃く、強いですね。
 その後、次第に風景のみを描くようになり、どんどん画面の白さと透明度が増してきていますが、対象をじっくり取材して描くという姿勢は変わらず貫いています。
 そのように作風が変化したきっかけも、国際瀧冨士美術賞でした。いただいた奨学金30万円をつぎ込み、大学卒業旅行として初めて海外に出かけたのです。目指すはヨーロッパ。ドバイ経由の安いチケットを買い、モロッコからスペインに入り、フランス、イタリアへ。後輩と2人、バックパッカーの旅でした。
 道中、見るものすべてがカルチャーショックでした。イタリアの強烈な光を体感し、カラヴァッジョ*¹もこうした光線のもとで描いたからこそ、ああいう作品が生まれたのだと、初めて合点がいきました。「もっといろいろな国の光を見てみたい」、「その場所でしか見られない光の表情を表現したい」という願望が募り、風景を被写体とするようになったのです。
 その後も機会を見つけては、ヨーロッパ各地を旅しています。やはりバックパッカーでふらりと電車に乗り、車窓からの風景に目を凝らします。心に響いたところで途中下車し、そこでじっと光の流れを追い続けます。街を探索して目星をつけておき、日の出や夕焼けの時に再訪することもあります。
 「ここだ」と感じる場所は絶景で知られる観光地などではなく、小さな教会の周りに家並みが広がる農村だったり、こぢんまりとした集落を走る小道だったり。一見、何の変哲もない風景がそこに差し込む光によって情感をまとい、刻一刻と装いを変えていく。生まれてははかなく消えてゆく一瞬のきらめきを描き留めたい、という思いが創作の原点になっています。

*1 「光と闇を操る」と評されるイタリアのバロック画家

intermission of the moment
『intermission of the moment』2006年、金沢美術工芸大学卒業制作

光から感じたものを表現する

——その場で描いていくのですか。

 ペンとスケッチブック、カメラを持っていきますが、スケッチはざっくりと、写真も数枚かしか撮りません。ペンを走らせ風景から目を離しているうちに、光の美しい瞬間を見逃してしまうからです。写真も参考にしますが、あまり撮り過ぎると画像が捉えた色や光に引っ張られ、自分の求める色が壊れてしまいます。
 一番有効なのは、メモです。日が暮れるまで何時間も立ち尽くし、その時々の光から感じたことを書き留めていきます。「光線が粒状に輝く」、「雲間から差し込む光が美しい影を作り出す」といった感じで、光の変わり目を捉え、箇条書きのように記録していきます。帰国後、心に写し取った風景を、メモを参照しながら描いていきます。
 実際の景色を写実的に再現しようとしているわけではなく、その情景から感じ取った何か目に見えないもの、そこで生まれた感情を、余白のような抽象性を宿して柔らかく表現することを大切にしています。目にした人が非日常的な幸福感を感じ取ってくれるような作品を目指しているのです。
 現地取材中に見つめる先を人が通り過ぎることももちろんありますが、人物は描き込みません。光を描くうえで、風景の方が表現しやすくなった結果だと思います。その場で出会った人と話をすることも、基本的にはありません。光の動きを見つめることに、神経を集中させています。その姿を目にした地元の人は「なぜこんなところに何時間もいるのだろう」と不思議がっているでしょうね(笑)。

野口俊介
グループ展会場で作品の解説をする野口さん

——ヨーロッパ以外の土地に興味は?

 いまのところは、ヨーロッパをもっと極めたいと思っています。先ほども話した通り、名古屋で教員をしていた間、まったく絵を描く余裕を失い、1年で金沢に戻りました。しばらく仕事もなかったので、オーストリアへ出かけました。卒業旅行で3月に行ったときとは違い、6月の爽やかな風の中、光りきらめくザルツブルクの街の美しさにすっかり魅了されたのです。改めてじっくり絵と向き合い、たくさんの発見をした旅でした。そのときの感動が、いまでも自分をヨーロッパへと向かわせています。
 この夏もドイツのフランクフルトからスイスまで、2週間かけて巡りました。帰国後、東京の日本橋三越本店での展覧会に出品した作品も、スイスとオーストリアの風景です。ヨーロッパの建物の造形や、旧市街と自然が織りなす美に心を揺さぶられます。日本人だからなのかもしれませんね。
 地元の金沢や故郷の北海道の風景、たとえば雪景色なども、いつかは描くことがあるかもしれません。何といっても、透明度を追究するうちにどんどん絵が白くなってきていますので。キャンバスに描くときも、下書きはまったくしなくなりました。下書きの鉛筆も、色を邪魔するからです。
 また、これからは、パブリックアートにも活動の幅を広げていきたいですね。自分の絵は空間に安らぎと癒しをもたらせると思います。実際、すでに石川県内の病院に3点ほど飾ってもらっています。

自分らしさを続けてこそ人に伝わる

——迷いを感じたり、気持ちがぶれたりすることはありませんか。

 「これが自分の作風だ」と言えるようになったのは、ここ数年です。それまではずっと迷い続けていました。
 芸術にも競争の側面が当然あります。合同展の会場では派手な色調の作品にどうしても目が集まりますし、コンクールの審査も瞬間のインパクトが勝負。淡い色調の風景画は、時間をかけてじっくり見てもらわないと、持ち味が伝わりません。「アートとしてもっとコンセプチュアルでなければ評価されないのではないか」と、頑張って「受ける絵」を描こうとした時期もありましたが、相手に勝とうとか、目立とうという価値観が、そもそも自分には合いませんでした。それを意識すればするほど、自分が目指す作風から遠ざかってしまうのです。
 自分自身が好きな絵を描かなければ、人にも伝わりません。地味であろうとコツコツと描いていこうと、ようやく思えるようになりました。「作品として負けていないのに」と悔しい思いばかりしてきましたし、いまでもしています。でも、この静かな世界を気に入り、作品を購入してくださる人もいます。それが励みとなって、続けて来られました。

——光風会*²を拠点に創作活動を続けつつ、若手の育成にも力を入れていますね。

 地元の公立高校で、非常勤講師として美術を教えています。普通科なので必ずしも美術を好きな生徒ばかりではありませんが、少しでも絵に関心を持ち、美術との接点を広げてくれればと思っています。最後の授業のときに「楽しかった」と言ってくれる子がいたり、何人かは美大を志望する生徒も出てきています。
 自分自身を振り返ると、描いた絵を見て親が喜んでくれたり、友達が歓声を上げたりしたことが、絵を好きになったきっかけでした。「自分の絵で誰かを幸せにできるんだ」と、描くのが楽しくなったのです。「どうすれば絵が上手になるか」とよく生徒に聞かれますが、「絵を好きになればどんどん描きたくなり、描けば描くほどうまくなる。スポーツと一緒だ」と答えています。自分の姿から、何かを好きで居続けることの大切さを感じてもらえたらうれしいです。

——これから国際瀧冨士美術賞を目指す学生にも、メッセージをお願いします。

 さまざまな悩みを抱え、壁にぶつかるに違いありませんが、それでもなお、こだわりを貫いてください。周囲に振り回されて自分の作風を壊したり投げ出したりせず、「これだけは譲れない」というものを大切にしてほしいですし、そういう学生を応援する賞であり続けてほしいです。

*2 日本の美術団体。絵画と工芸の2部門で構成されている。

風の薫
『風の薫』2013年、第3回リアリズム賞展シード賞受賞作
奥谷太一

野口俊介のぐち しゅんすけ

1982年北海道生まれ。2001年金沢美術工芸大学入学。05年第26期国際瀧冨士美術賞受賞。06年金沢美術工芸大学卒業。08年同大学大学院修士課程修了。05年光風会展初入選。06年光風会展奨励賞、日展初入選。08年現代美術展次賞、13年第3回リアリズム賞展シード賞(新生堂)。15年第101回光風会展会員推挙。機会を見つけてはヨーロッパ各地を旅し、絵筆をとる。個展、グループ展もほぼ毎年開いている。


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