国際瀧冨士美術賞 第27期受賞者
本郷 芳哉 HONGO Yoshiya

国際瀧冨士美術賞 第27期受賞者:本郷 芳哉

国際瀧冨士美術賞 第27期受賞者
本郷 芳哉 HONGO Yoshiya

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インタビュー

国際瀧冨士美術賞第27期受賞者の本郷芳哉さんは、主に金属による作品を手掛ける彫刻家です。招待作家に迎えられた第70回「交通総合文化展2023*¹」では、ステンドグラスの歴史やイメージを踏まえた意欲的なパブリックアート作品を発表します。本作に込めた思いやこれまでの歩みを、クレアーレ熱海ゆがわら工房(静岡県熱海市)で作品を制作中の本郷さんに聞きしました。(聞き手・永田晶子、取材日・2023年8月)

ステンドグラスへの挑戦 素材と向き合い思考と感覚を磨く

本郷芳哉
本郷芳哉さん クレアーレ熱海ゆがわら工房にて

——本郷さんは、「交通総合文化展2023」の参加作家として今年3月からステンドグラスを使ったパブリックアート作品に取り組んでいます。なぜガラスを素材に選ばれたのでしょうか。

工房でのレクチャー
工房リーダーでステンドグラス作家の中野竜志さんによるステンドグラスについてのレクチャー

 日本交通文化協会から依頼を頂いた後、クレアーレ熱海ゆがわら工房を訪れ、ステンドグラスと陶板レリーフの両方について素材の特性や表現に関するレクチャーを受けました。陶での制作にも惹かれてサンプルの焼成までしたのですが、最終的にステンドグラスに決めました。なぜかといえば、僕の祖母や両親はクリスチャンで、僕も子どもの頃は教会に通い、ステンドグラスは身近な存在だったんですね。
 幼少期の私にとって、祭壇の向こうに在るステンドグラスを通して落ちてくる美しい光に、どこか現実とは異なる向こう側の世界を感じていたように思います。時間が経ち、様々な経験をしてきた現在、キリスト教徒ではない私の眼には当時とは異なった角度からその光景が映っているように思います。今回、「境界」のひとつのメタファー(比喩)として、ステンドグラスそのものを「素材」と捉えました。歴史性や様式、技法、培われたイメージなどを含む総体としてのステンドグラスと向き合うことで、私たちの周囲に存在する「境界」の在り様について見つめていきたいと考えたためです。

——交通総合文化展に出品する作品『Inside-Outside』は、5つの窓状のステンドグラスが壁面に並び両方の面から鑑賞できる作品です。ガラス面には本物の石が複数嵌り、そこから走るひびや割れは鉛線で表現されて、あたかも投石行為があったようにも見えます。どのような制作意図があるのでしょうか。

僕がお医者さんに行くとき
ステンドグラス『光と水と生命』 原画・監修:ルードヴィッヒ・シャフラット、JR東日本 大宮駅 二階自由通路西口正面 1982年6月完成

 僕にとって素材は非常に重要なポイントで、向き合いながら思考や感覚の精度を高めていき、作品に投影していきます。今回は出発点として、先にも言った通り、ステンドグラスそのものを「素材」と捉えました。
 例えばその歴史を振り返ると、ステンドグラスはキリスト教と密接な関係にあり、その考え方は現代社会にも深く浸み込んでいます。そうしたことを考えていく上で色々な本も読みました。例えば日系米国人アーティストのマコト・フジムラ氏の著書『沈黙と美―遠藤周作・トラウマ・踏絵文化』(2017年、晶文社)は、隠れキリシタンの歴史や日本の精神風土に対する考察がつづられて考えさせられました。また、現代ステンドグラスの第一人者、ルードヴィッヒ・シャフラット*²によるJR大宮駅の作品『光と水と生命』(1982年)も見に行き、建築と一体化した幾何学的な美しさに感銘を受けました。
 作品タイトルである『Inside-Outside』には、「内側・外側」や「表・裏」といった意味があります。これまで、私は制作を通してこの世界の中で私たちがどのように生きていくのか?ということを問うていきたいと考えてきました。そうした中で、「境界」はそれを思索していく上でのひとつの大切な視座となってきました。「境界」への認識や扱いの差異は、現代社会が抱える様々な問題にも深く関わっています。そもそも「境界」とはネガティブにもポジティブにも捉えることのできるものであり、その「内側・外側」や「表・裏」ということですらも、そう単純で簡単に扱い、判断することができないものだと思います。だからこそ、私は「境界」とは何なのか、そして、それを通してその先に在るものとどのように向き合い、関わっていくのかを考えていく必要があると感じています。
 今作は、壁面に並ぶ5枚一組の窓と同サイズの透明ガラス板に石を打ち付けて割った後、鉛線でつなぎ固定し、貫通した石をはめこむことで、ステンドグラスとして生まれ変わらせています。それは、切断されたピースをつなげて一つの作品を作るステンドグラスの手法そのものが、「分割」と「再生」というキリスト教にとって非常に重要な概念と重なったことに起因しています。この作品はこうしたステンドグラスにまつわる様々な情報や要素を、自分の中でレイヤーのように積み重ねていくことによって作品化していきました。

——ステンドグラスの構造自体にもインスピレーションを得たのですね。

 そうですね。本作の窓状フレームの形状は、ドイツのアウクスブルク大聖堂にある現存する最古のステンドグラスのデザインが基になっていますが、割れたもの同士をつなげ、一つの世界を支える構造体として、時間や歴史性が含まれた窓の形は重要な役割を果たしています。
 そもそもステンドグラスは、単に装飾的な役割を担うだけでなく、言語を介さずにキリスト教の教義を広く伝える役割もあったそうです。そういった歴史やイメージなども構造の一部として捉え、様々なことを考えながら作品プランを練っていきました。

*2 Ludwig Schaffrath(1924~2011)。ドイツの造形美術作家。世界各地でステンドグラス作品を制作した。JR大宮駅の作品は当協会が企画した。

工房との刺激的なキャッチボール

——どのように制作を進めたのでしょうか?

 2400×1200ミリの大きな透明ガラス板を僕が石を打ち付けて割り、そのままをクレアーレ熱海ゆがわら工房に送ってステンドグラスにしていただく作り方をしています。工房では、ガラスの破片を鉛線でつないで固定し、石で穿たれた穴の中には再び石をはめ込むだけでなく、ステンドグラスとして再構成していってもらいました。通常のステンドグラス制作は、図案から型紙を起こし、それに合わせてガラス板を切断しますが、今回は石で割ったためピースの断面は複雑で、パーツ同士の間に入る鉛線の厚み分も計算していません。鉛線を通していくためには、それによって生じるズレを含めて再構成していく必要があり、見た目以上に面倒で複雑なことを工房にはお願いしたと思います。

工房での制作作業
左:ガラスを石で割る様子 右:工房での制作風景

——ガラス板を割るときに石を使ったのはなぜでしょうか?

 説明するのはなかなか難しいのですが、たくさんある選択肢の中から、作品全体を構成していく中で必然的に決まっていったように思います。石はとてもシンプルな印象を持つ一方で、多義的な意味を持つものでもあります。それは何か意味を求めても、逆に求めなくても、「石」は作品の中でその役割を果たしてくれると感じました。
 さらに言えば自分がガラス板を割る結果が予測できないところも良かった。僕は基本的に人間が世界をコントロールできるとは思っていませんので。

——クレアーレ熱海ゆがわら工房リーダーの中野竜志さんは「本郷さんから届いたガラス破片は、割れ方が本当にきれいだった。一面に蜘蛛の巣状に走っているひびも、そのまま生かしたいと思った」と言われていました。

工房での制作作業
工房で作品の検討をする本郷さんと中野さん

 僕の意図を、工房は非常によく汲み取ってくださったと思います。たとえば、ステンドグラスにひびが入っていることは本来あり得ないけれど、今回は途中まで割れかけた線や微細な亀裂も生かされています。工房との打ち合わせの際、「翻訳」という言葉を使っていらっしゃったのが印象的でした。たくさんの作家の方達の作品をステンドグラスにしていくためには、情報を一度整理して変換していく必要があるのだと理解しました。僕はステンドグラスを作れませんが、そうした工房との協働のキャッチボールに刺激を受けたことも、今回の作品の要素として取り込まれています。

——本作を展示する「交通総合文化展2023」は、JR上野駅内で行われるので、多くの人に作品を鑑賞してもらえますね。

 本作は、ステンドグラスにまつわる様々な情報を自分の中で消化してレイヤーのように積み重ね、作品化しました。さまざまな方々にどのように作品を見ていただけるか、とても楽しみです。

——鑑賞する方によって、色々な見方や読み取り方ができる作品になりそうですね。

父の手伝いで身近だった彫刻

——本郷さんは1982年に埼玉県に生まれ、現在は千葉県を拠点に活動しています。いつ頃から、なぜ彫刻に興味をもったのですか?

 埼玉県朝霞市に生まれて小学校3年生頃まで育ち、その後に今アトリエがある千葉県野田市に引っ越しました。父の本郷寛は彫刻家で、東京藝術大学の美術教育の教員を長く務め、作家活動としては主に乾漆*³作品を制作しています。弟の本郷真也は鍛金家で、東京の三井記念美術館の展覧会「超絶技巧、未来へ!明治工芸とそのDNA」(11月26日まで)にも参加しています。

——芸術家一家ですね。

 子供の頃から父の彫刻制作を近くで見ていました。だって父を手伝って粘土練りをするとお小遣いがもらえたんです(笑)。父が所属する国画会*⁴の展覧会にも連れていかれ、大きな作品が会場にずらりと並んでいたのを覚えています。母も彫刻科出身で、夏休みは炎天下にイーゼルを立てて絵を描くように言われたりしました。ただ当初は美術方面に進むつもりはなく、獣医か弁護士になりたいと思っていました。ところが高校3年秋頃に受験先を決める段階になると、それまで考えていた将来設計が急に色あせて感じられました。そのタイミングで父に手伝いを頼まれ、間近に制作を見るうちに彫刻に対する興味がどんどん高まり、決心しました。そこから美術予備校に通い始め、二浪して沖縄県立芸術大学に進学し、彫刻を専攻しました。

——沖縄県立芸大の学生生活はいかがでしたか。

 受験のときに初めて沖縄に行き、空港に降り立った途端に空気が違うと感じました。気温も湿度も高く、植物も街の雰囲気も本土と違っていて、とても惹かれました。気持ちのテンションが上がったせいか、選考試験のデッサンも会心の出来でした(笑)。ただ1,2年生のときは、あまり大学に行かず、専らアルバイトに精を出していました。褒められるような学生ではなかったけれど、当時、大学の中だけでなく、さまざまな人と出会った経験や沖縄の街と自然から感じたことが、現在の自分の思考のベースになっていると思います。

*3 麻布や和紙を漆で張り合わせたり、漆と木粉を練り合わせたりしたもので形作る技法。

*4 絵画、彫刻、工芸部門などを擁する美術団体。運営する「国展」は日本最大級の公募展。

沖縄で実感した「ボーダー(境界)」の存在

——それはどのようなところですか?

 先ほど「ボーダー」に関心があると言いましたが、沖縄の言葉で沖縄生まれの人を「ウチナンチュー」、本土の人を「ナイチャー」と呼びます。また、沖縄本島の国道をバイクで走ると米軍基地のフェンスが延々と続く場所があって、向こう側では映画みたいに美しい緑の芝生が広がり、こちら側には沖縄の人たちの日常生活があります。そうした様々な境界の存在への意識は、4年間を沖縄で過ごしたから生まれたのかもしれません。また聖地である「御嶽うたき」をはじめ、沖縄が培ってきた文化や信仰、そして自然が持つエネルギーにも圧倒されました。沖縄は、人と自然の関係を考えるうえでもすばらしい土地だと思います。

——大学時代はどのような作品を作っていましたか。

 面白かったのはテラコッタ*⁵の実習です。通常焼き物は既存の窯を使いますが、大学の実習では成型した粘土の周りに自分たちで窯を築いて焼成したので、大きな作品が作れました。焼き物の伝統がある沖縄の土地柄も含め、強く印象に残っています。3年生から金属による彫刻を始めました。金属に惹かれた理由としては、加熱や電気により変形したり伸びたりする目の前で起きるドラマがまずシンプルに素材として楽しかったのだと思います。その頃から制作にギアが入り、一日中大学に入り浸って素材と向き合い、夢中で手を動かしていました。

——4年生のときに国際瀧冨士美術賞を受賞しました。

第27期国際瀧冨士美術賞応募作品
第27期国際瀧冨士美術賞応募作品

 沖縄県芸の先生に声を掛けられて応募しました。受賞作品は、鉄を使い「生と死」について自分なりの解釈を込めて作りました。賞の奨学金は、東京藝術大学大学院を受験したときに作品の輸送費に使いました。作品は直径約1m高さ約3mの鉄製で、受験後は卒業制作展に出品するため沖縄に送り返す必要があったので、船便でもかなり輸送費が掛かったんですね。あのタイミングで奨学金をもらえなかったら、多分東京の大学院を受験できなかったと思います。

——なぜ東京藝大大学院に進学しようと思ったのですか?

 僕の場合は、沖縄の居心地が良すぎて(笑)。かえって自分の今後がイメージできず、東京に行ったほうがいいと思いました。大学を卒業する頃には、自分は生涯彫刻を作り続けていこうと決心していました。当時は、将来作家活動で生計を立てられる自信はなかったのですが。
 東京藝大大学院では、彫刻科の木戸修先生に師事しました。木戸先生はステンレスを用いた彫刻を制作され、いち早くコンピューターを制作に取り入れるなど、様々な新しいことに挑戦されています。絶えず新たな可能性を追求し、取り組まれていく先生の姿勢に学ぶことは非常に多かったです。

*5 赤褐色の素焼きの焼き物。

創作に大事な身体的な感覚

View from afar
『View from afar』2023年、鉄、H460×1280×1280mm/H300×1140×920mm ギャラリーせいほう・本郷芳哉展『View』

——本郷さんは、金属の中でどの素材を使うことが多いですか。

 素材は色々です。東京・銀座のギャラリーせいほうで9月に開催する個展には、金属のスクラップ(廃材)工場へ通い、そこから素材をピックアップした作品を出品します。また同時期に開幕する国際現代芸術祭「中之条ビエンナーレ*⁶」では、廃屋自体を素材として考え、自分の手で解す様に解体して出た材を使った作品を展示します。
 金属を素材とする作品の制作は多いのですが、僕は「素材」を単なる材料ではなく、より広い概念として捉えています。たとえば廃屋を解体すれば、その過程で朽ち果てた壁や虫の巣や大量のカビにも出くわします。そうした通常目にしないものを、実際に見たり匂いを嗅いだり手で触ったりすると、普段自分たちはいかに表層的に生きているかを感じることがあります。この身体を通した感覚は、僕にとって書物やインターネットから絶対に得られない非常に大事なものです。

家を解く
『家を解く』2023年 中之条ビエンナーレ2023

——体験的感覚をもたらしてくれるものが本郷さんにとって「素材」となり、その感覚を起点に作品を制作されるわけですね。

 そうですね。制作の出発点はつねに素材と向き合うことから始まります。僕の中にある様々な思想や感覚に、リアリティや実感を与え、ピントを合わせていってくれるのが、そうした感覚の蓄積だと思っています。

——近年はアルミニウムを使った作品を多く手がけています。昨年京都の世界遺産・仁和寺で行われた「御室芸術祭2022」で書院や庭園に展示した本郷さんの「存在の空白」シリーズは、まるで本物の巨石が出現したように見えます。

 「空白」シリーズは、アルミ板を球状に丸めて中に自分が入り、内側からハンマーで叩き伸ばしていきます。内側と外側の境界上に現れる「存在」の成り立ちを追求した作品です。アルミは光沢のあるイメージがありますが、本作は表面を腐食させて白錆が出ているので、見る人によっては石みたいに見えるようですね。一見、とても重量がありそうですが、じつは大人一人で持てるほど軽いのです。重いのか軽いのか、人工か自然か、そういったバランスの上に成り立つ作品です。

存在の空白
『存在の空白- 坐留』2021年、アルミニウム、H172×167×160cm KYOTO Ninnaji Omuro Art 4.8 Project・世界遺産仁和寺 国名勝仁和寺御所庭園 写真:Kenryou Gu

彫刻におけるアルミの可能性

——アルミを用いた彫刻作品はあまりないと思いますが、本郷さんが素材に選ばれたのはなぜでしょうか。

 彫刻家・陶芸家の清水九兵衛さん*⁷はアルミの作品を数多く作られましたが、その素材として扱う作家は、確かに多くはないかもしれませんね。彫刻材料として敬遠されがちなのは、質感が軽く見えるためでしょうか。ただ、その素材でしか創り出すことのできないものがあることも確かです。僕は面白い素材だと思っています。
 技術的な話をすると、アルミは銅と同様に一定温度まで加熱すると常温に戻っても柔らかい状態が続き、叩いたり摩擦を加えたりすると再硬化する特性があります。そうした性質をもつこともあって、大学院時代はおもに鉄やステンレスを用いていましたが、より感覚的に制作をしたいと思い、2014年頃から使い始めました。

——繊細な網目模様が広がるインスタレーション「Appearance」シリーズもアルミを素材としています。

 出現を意味する「Appearance」は、アルミ板をガスバーナーの火であぶり、その中で質量を移動させていくように制作しています。アルミの表面は酸化皮膜で覆われ、被膜と中の金属の融点は1000℃以上も差があるんですね。本シリーズでは、加熱すると表面が溶ける前に中側が液状化する特異な性質を利用しています。制作する際は、その場の空気や光、金属の変容を感じながら、空間との関係性を創り出すことを心がけています。

Appearance
『Appearance』2023年、壁面高さ900cm 越後妻有現代美術館

——様々な国や地域で滞在制作をされています。印象に残った場所を教えてください。

 どこもそれぞれに面白かったのですが、2019年末から約1か月間を過ごしたアイスランドの自然環境はとりわけ印象的でした。火山活動が盛んな国ですが、冬の海は流氷が流れ、雄大なスケール感が印象深かったです。アイスランドでは、海辺に落ちていた鉄塊を拾い、磨き上げた作品を制作しました。このときは、グズグズに錆びて自然石のように見えた鉄塊を、どこまで磨けば僕たちが普段知る鉄まで引き戻せるのか、その境目に関心がありました。

——現在、愛知県立芸術大学や金沢美術工芸大学で非常勤講師として学生を指導しています。彫刻を志す若い方に伝えたいことはありますか。

 そうですね、現代は彫刻を取り巻く社会状況も変化していますし、厳しい時代になっていると思います。「彫刻」という言葉の意味や解釈も様々です。また今に始まったことではありませんが、卒業後も経済的に作家として自立するのも大変です。でも、人間が生々しい感覚から乖離しがちな時代だからこそ、彫刻は大事になっていくと僕は思っています。

*7 しみず・きゅうべえ(1922~2006)。京焼の清水六兵衛(七代目)を襲名し陶芸家として活動するいっぽう、日本の風土に調和した抽象彫刻を追求した。

本郷芳哉

本郷芳哉ほんごう よしや

2006年 第27期国際瀧冨士美術賞 受賞
2007年 沖縄県立芸術大学美術工芸学部彫刻専攻 卒業
2009年 東京藝術大学大学院美術研究科彫刻専攻 修了

現在は彫刻家として活動し、個展や芸術祭などでの発表に加え、コミッションワークも数多く手がけている。


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