瀧冨士美術賞 第6期受賞者
原 智 HARA Satoshi

瀧冨士美術賞 第6期受賞者:原 智

瀧冨士美術賞 第6期受賞者
原 智 HARA Satoshi

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インタビュー

瀧冨士美術賞(現在の国際瀧冨士美術賞)第6期受賞者、金工作家で金沢美術工芸大学工芸科教授である原智さんの好きな言葉は「神は細部に宿る」。工芸には正確な技術と表現力が必要で、あらゆる部分に気を抜かず、すべてに神経を張り巡らせて造っていく。その結果、作品に強さが出てくると語っています。(聞き手・篠原知存、取材日・2019年8月、初出『国際瀧冨士美術賞40年(2020年刊行)』)

研究で生み出したさまざまな技法

原智
原智さん

——最初に作品を拝見した時は驚きの連続でした。どう造っているか想像もつかなくて……。

 たとえば、「杢目金もくめがね」という技法があります。金属の表面に木目のような模様を出すのですが、そのためにまずいろいろな板を重ねます。銅と銀、合金などを、でき上がりの色合いを考えながら積層する。金属を普通に重ねてもくっつくことはありませんが、拡散接合という現象があって、押さえつけながら炉の中で720度から750度に温度を上げると、金属同士が結びつく。その素材を叩いて薄くして、削って叩き延ばし、形を造っていく。すると削ったときに積層された模様が出てくるんです。
 この技法のために、新潟大学との共同研究で特別な固定具を造りました。昔ながらの接合法で、鉄線でからげて叩いてもいいのですが、失敗が多い。開発した固定具は熱膨張率の違いを計算して、積層した金属に適正な圧力がかかるようになっています。

鍛金杢目金香炉
鍛金杢目金香炉『亀』

——聞くと納得できますが、一作品にかける手間が尋常ではないですね。

鍛銅朧変花器
鍛銅朧変花器

 研究の成果としてこういうものができるようになりました。「たんきんおぼろへん」というのも、違うやり方で模様を出そうと研究した成果です。銅で形を造っておいて、あちこちに銀を溶接しておいていく。混ざる銀と銅の量の違いによって、黒くなったり、明るいグレーになったり、色目が変わってくる。大学のときに溶かしたらどうなるのか試したのが最初なので、もう30年前ですね。周囲からは、そんなのうまくいくわけないよ、と言われながら研究しました。

——近作ではとても細かい模様の入った技法を使っておられますね。

 象嵌ぞうがんです。鉄の素材に、銀を象嵌しています。0.3ミリ幅で溝を彫って、銀の線を叩いてめ込んで、磨いて仕上げています。点々になっている部分は、穴を開けたところに半球に膨らませながら銀を埋めています。この技法には「魚々子ななこ象嵌」という名前を付けました。魚々子というのは、奈良時代から使われている技法です。連続して彫られた細かく並んだ丸い文様が、魚の卵に似ていることからそう呼ばれてきました。

魚々子象嵌鱗紋花器
魚々子象嵌鱗紋花器『螺』2017年
魚々子象嵌鱗紋花器
『螺』 部分アップ

——信じられないほどの細かさです。

 密度を出しています。入れ子状にどんどん細かくなっていて、細かい中にまた細かさ、そんなイメージです。本当は顕微鏡レベルまでやりたいくらいですが、材料の特性と道具の限界がある。でも、ギリギリのところまでは追求したい。30センチくらいの大きさの作品に、幅0.3ミリ、深さ0.5ミリの象嵌がだいたい50メートルくらい嵌めてあります。線1本入れるのに4、5回は手を加える工程があるので、ざっと200メートル分の仕事をコンコンコンと叩きながら進めていくわけですが、1回叩いて進むのがだいたい1ミリ。金属は間違えると直しようがないので、最初から最後までミス一つできない。非常に地味でストイックなことを、すごく長い時間やっています。

——遠目にも美しいですが、アップでみると本当に驚異的です。

 展覧会だと目立たないんですよ(笑)。ただ、以前は8メートル、9メートルの彫刻も造っていましたけれど、意識の使い方は、あまり変わらない。サイズにかかわらず、早く正確に仕事をするというのは同じ。金属を叩くと変形する、溶かすとこうなる、そのさまざまな現象を自分なりに昇華していくと、それが技法になるんです。

自分の手を通じて感じることの大切さ

——金属工芸を志したきっかけは何でしたか?

 ものを造ることや絵を描くことは子どもの頃から好きでした。小学生の頃にも児童館で石膏像をデッサンしたりしていました。生活の糧になるとは思っていませんでしたが、高校生のときに美大を目指している友達に会った。そういう選択肢もあると気付いて、本格的に描き始め、しっかり学ぼうと思って東京藝術大学を目指しました。
 それで、予備校で最初に教わったのが金属工芸の先生だったんです。鍛金というのは、力が造形に変わる。自分の叩いた力が形に込められていく、そこが面白かった。大学に入ってからも金工の宮田亮平先生のお手伝いをさせてもらって、1年生の頃から着色や造形を経験していたので、3年生で専攻を決めるときもごく自然に決めていました。
 多少迷ったのは、漆芸でした。漆の色味には絶対的な強さがあります。漆黒と言いますが、ただの黒ではない、吸い込まれるようなあの黒さ。そこに絵を描いていく蒔絵にも興味があった。それもやっぱり予備校のときに、主任だった漆の先生の制作を手伝っていて魅力を覚えました。

——触ると好きになるものですか。

 そうですね。工芸の基本は素材と技法なので、自分の手を通して感じることがとても重要になってきます。だからもし、陶芸をもっと早い時期に経験していたら、陶器をやったかもしれないですね。でも、僕の場合は金属が肌に合っていたかなぁ。

——瀧冨士美術賞に応募されたきっかけは。

瀧冨士美術賞応募作品
瀧冨士美術賞応募作品

 指導を受けていた宮田先生から「チャレンジしてみないか」と。応募作品は3年生のときに制作した「銅一枚絞り」と「鉄鍛造たんぞう」。作品名は特につけなかったと思います。銅の方は1枚の板から形を造り出す、鍛金の基本的な技法の一つです。鉄の方は叩いて変形させて、彫刻に近い作品を造った。当時は技術もないし、素材のことも知らないので、試験的、実験的な要素が強いものでした。
 銅と鉄は叩くと全然違っていて、圧倒的に鉄の方が硬いんです。硬いけれど叩いて張りを出していくと、抵抗感というか素材の持つ強さというのが出てくる。このあと、大学の卒業制作、大学院の修了制作も鉄を使いました。いまも使っていますが、鉄は好きな素材です。

——学生時代はどんな作風でしたか。

 溶接、鍛造、いろいろな手法を組み合わせながらオブジェ的なものをよく造りました。金属工芸の技術を使ってどういった表現ができるか、いろいろ試していた時期です。でも、わりと早くからこの世界で生きていくことを考えていました。そうすると、アトリエが必要になる。何をするにしても、アトリエがないと仕事にならないですからね。それで友達や知り合いと共同で作業場を借り、大学院を出てからはそこを拠点に制作していました。

Further Improvement
『Further Improvement』2004年。東京都千代田区・ヒューリック錦町ビルに設置されたモニュメント。

——すぐに工芸家としてデビューしたのですか。

 当時、屋外彫刻というのが盛んでした。全国各地でコンペティションがあって、自分が造りたいもので応募して入選すれば造ることができる。積極的にチャレンジしていました。最初に大きなものを造ったのが、大学を出た次の年くらいです。作品の実績ができると、次に繋がっていく。20代から30代の終わりまでは年に1、2回のペースで、駅のモニュメントとか公園に置く彫刻とか、オブジェのようなものをたくさん造っていました。

——大型作品を年に1、2回というと結構大変だったのでは?

 忙しかったですよ。知力、体力、精神力、経済力、何もかも注ぎ込まないとできない。納期に間に合わせないといけないから、時間も限られている。すべて初めての表現なので、どうやって造っていくか頭を悩ませる。形を造ることは難しくないですが、構造体をどう造るか、強度はどうするか、手順はどうするかという作業が難しい。子どもが乗っても大丈夫かなど、安全性にも気を遣うので。
 たとえば地下鉄の駅に一つ置いたのですが、8メートルぐらいあって、重さも300キロぐらいになる。駅はもうでき上がっていて、階段で下ろすしかない。分割して持ち込んで、組み立てることになるけれど、どれくらいのサイズなら取り扱えるか、80キロぐらいならなんとか持ち運べるだろうか、とかすべてその場所に合わせて考えなくてはならないのです。

——コンペで制作費が出るにしても、食べていくのは難しかったのではありませんか。

 信じていました。自信があったのですね、根拠のない自信ですが(笑)。ちゃんとやっていれば大丈夫だと。大学や予備校に教えに行ったりしながら、休みなしで全力で制作していました。

金沢は工芸と市民の距離が近い

——金沢へ来られたのはいつでしたか。

 40歳のときですね。それから16年になります。金沢という街では生きている工芸、実際に使われている工芸というのを目にする機会が多くて、自分が持っている技術でどういう表現ができるのか試してみたくなった。30代後半から工芸的な作品も結構造っていたんですが、こちらに来てからは古典技法によった表現も増えました。

——工芸が「生きている」というのはどういうことですか。

 たとえば「菓子切り」を小学生に造らせるという授業があります。適当な材料ではなく、純銀を叩いて削って、ちゃんとしたものを造る。自分のものができたら、それで金沢の和菓子を食べる。実際に造ったものを、使うところまでやるのです。

——なるほど。生活の中での工芸の居場所が分かりますね。

 これだけ工芸と市民の距離が近い街は、ほかにないかもしれないですね。京都も近いですけど、金沢の方がより親密な感じがあります。肩肘張らないで工芸に近づいていける。茶屋街などでは花器を普通に売っていて、お茶やお花をやっている人も多いし、生活の中で道具を使う機会も多い。小中学生を対象に「ものづくり」を教えるなど、行政も育成に力を入れている。そういう子たちが美大を受けて、そのうちに教える立場になるといった繋がりもあります。
 加賀藩の頃から「ものづくり」に対する評価や教育がしっかりしていて、意識が高いのでしょうね。東京にいると、たとえば陶芸と自分の距離など測る機会もないし、必要もないので意識することさえない。そういう意味でも、金沢はいい街です。
 日本文化のなかでも、工芸は海外でもしっかり通用するジャンルです。最近は私も海外へ行く機会が増えましたが、すごく反応がいい。伝統の上に築かれたものは強い。ここ10年ぐらいは、伝統工芸展にも出品しています。日本工芸会の中ではまだ若手もいいところですが。

常に社会での立ち位置を確認する

魚々子象嵌箱
魚々子象嵌箱 2017年

——日本伝統工芸展では知事賞や日本工芸会賞など毎年のように受賞されています。

 社会の中で自分の作品がどういう風に受け止められるのか、それを知るのは重要です。個展で発表するのもいいのですが、厳しい第三者の目を通して自分の立ち位置を確認することも大切だと思っていて、そのためにも工芸展に出すようにしています。批評を受けるというのは大事です。好き勝手やって終わってしまわないように、「社会の中で」というのはよく考えますね。社会の中でいい加減なことはできないですから。

——作品の着想などはどこから来るのですか。

 制作中に考えています。精神的には目の前の作業にすごく集中していますが、手を動かしているといろんなことが浮かんでくる。次はどういうのを造ろうか、こういった表現をするにはどうやったらいいのか、技法的にこれとこれを組み合わせるとどうなるだろうと、そんな風に考えながら作業していて、まとまってきたらメモしておきます。

——造形的なイメージからですか、それとも技法からですか。

 いろいろですね。こういう形がいいかなというのもあれば、抽象的な概念から入ることもありますし、材料の反応を試してみたくなったりもします。
 作家のセンスは見たものの量に比例すると思っています。もちろん美術はよく見に行きますけれど、作品だけじゃなくて、自然の事象とか、いろいろなものを見ることが大事。アメンボが水面に描く波紋を作品にしたこともあります。

魚々子象嵌箱
魚々子象嵌皿『水紋』2013年

大好きな言葉「神は細部に宿る」

——香炉やお皿のように実際に使えるものと、オブジェ的な造形。作品としてはどんな違いがありますか。

 柳むねよしさん*¹の言葉に「用の美」というのがありますね。あれはよく勘違いされていますけど、「機能美」ではないんです。似ているけれど少し違っていて、「用の美」には、たとえ使わなくてもそこにあるだけで美しいというニュアンスも含まれている。私の目指しているのはそういう美しさです。花瓶の形をしていたり、香炉の形を使っていたりするけれど、完璧な花瓶や香炉を造りたいわけじゃなくて、機能を満たしつつ造形として美しいものは何かというところを模索している。そういう意味ではオブジェに近いですね。

『浮く』
『浮く』

——実用品でありながらオブジェという感じですか。

 そこに置かれたときに、周りの空間を変えるのがオブジェの力。私が理想とするのは、その場の空気を静かに震わせてくれるような作品です。完成したらアトリエとかにポンと置いてみて、周りにどれだけ変化を与えるかを見ます。雑然としたところにあっても、違う空気感を発している。少し抽象的ですがそれが重要で、自分では基準にしています。ただし、情熱的で周りを熱くするようなものには興味がない、暑苦しいのは嫌い(笑)。それがあると温度が1、2度下がったように感じる、そういう作品が個人的には好きですね。

——その力はどうすれば出せるのでしょうか。

 あくまで僕の場合ですが、工芸的な感覚でいうと、正確な技術と表現力は最低限必要だと思っています。そして、ありとあらゆる部分に気を抜かないで、すべてに神経を張り巡らせて造っていく。ミース・ファン・デル・ローエ*²という建築家が「神は細部に宿る」と言っていますが、大好きな言葉です。すべての部分に対してどれだけ情熱を注ぎこめるか、細かいからいいや、見えないからいいや、というのではなくて、すべてに神経を配る。その結果、作品に強さが出てくると思っています。だから、妥協はしたくない。

——普段はどんな風に制作していますか。

 朝の4時か5時に起きて、2、3時間仕事をして、それから大学に出勤します。早朝の静かな時間が一番集中できるので、なるべく早起きして。土日とかはずっと制作しています。やっぱり好きなのですね、一番ストレスが溜まるのは仕事ができないときですから。僕にとって制作は命をかけてやる趣味、奥さんに言うと怒られますが(笑)。自分としてはそういう感じがある。好きでないとできないですよ。

——今後はどんな作品を制作される予定ですか。

 同じものはできるだけ造りたくない。たまに同じものを造ってほしいと依頼されることがありますが、丁重にお断りしています。同じ時間をかけるなら、新しいものに挑戦したい。
 いま取り組んでいるシリーズは、四神の香炉です。青龍と玄武を造りました。1枚の板から叩き出しています。どれくらいかかるか分かりませんが、あと朱雀と白虎を造ったら完成です。何をやってもいいと思っていますが、まずは自分が興味を持っていることを中心に取り組んでいきたいですね。

魚々子象嵌香炉
魚々子象嵌香炉『青龍』

*1 日本を代表する思想家。民衆的工芸品の美を称揚するために「民藝」の新語を作り、民藝運動を起こした。

*2 20世紀のモダニズム建築を代表する、ドイツ出身の建築家。近代建築の3大巨匠のうちの1人。

原 智

原 智はら さとし

1962年神奈川県生まれ。85年第6期瀧冨士美術賞受賞。87年東京藝術大学大学院美術研究科修了。2003年から金沢美術工芸大学に勤務し、現在、工芸科教授。金沢市工芸協会評議員。中国、韓国、台湾、デンマークなどの工芸・美術大学で集中講義、講演、ワークショップも行っている。84年原田賞、87年サロン・ド・プランタン賞、04年淡水翁賞、05年世界工芸都市宣言記念賞、13年日本工芸会賞、17年文部科学大臣賞、19年石洞美術館賞など受賞多数。


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