国際瀧冨士美術賞 第38期受賞者
シュ・ニン XU Ning

国際瀧冨士美術賞 第38期受賞者:シュ・ニン

国際瀧冨士美術賞 第38期受賞者
シュ・ニン XU Ning

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インタビュー

北京育ちのシュ・ニン(許寧)さんは国際瀧冨士美術賞の第38期(2017年)受賞者で、これを機に数々の賞を受賞しています。しかし当のシュ・ニンさんは「自分が本当にやりたいことは何なのか」「何を目的に生きて行くのか」とずっと探し求めてきたと言います。(聞き手・西川恵、取材日・2021年8月)

初めての陶板作品 大変でしたが楽しかった

シュ・ニンさん
シュ・ニン(許寧)さん
交通総合文化展2021に向けてクレアーレ熱海ゆがわら工房に滞在して制作
交通総合文化展2021に向けてクレアーレ熱海ゆがわら工房に滞在し、陶板作品を制作

——シュ・ニンさんは今年10月に上野駅でもたれる交通総合文化展2021*の招待作家として、春から6月までの3カ月間、「クレアーレ熱海ゆがわら工房」に滞在して作品制作に取り組みました。その後も自宅で制作を続けました。陶板は初めて扱う素材で、どうでしたか?

 初めてのことなので分からないことばかりでした。とりあえずやってみよう、という感じでスタートしました。最初は一枚の大きな陶板作品を作ろうと考えたのですが、それは平面的な絵として捉えていたからだと思います。モチーフがあって、一枚の大きな陶板の中に石とかいろいろなアイテムを配置していこう、と。
 しかし陶板の制作は初めてのため、こうしたいと思ったことと実際にやれることの間に食い違いが生じました。そのうちテストで小さな陶板を焼いて、その上に陶板のかけらなどを並べてみたらとても良かった。一枚の大きなものより、小ぶりのものを幾つか作って展示した方が、バリエーションと変化があって面白いのではないかと思うようになりました。
 陶板を作るにはまず粘土をこねることから始まります。大変でしたが楽しかったです。粘土で正方形の形のものを作り、床に叩きつけて空気を抜きます。一生懸命叩いていたら柔らかくなりすぎて、形にならないんです。こねすぎると柔らかくなるとは知らずにやっていたのです。思わず笑ってしまいました。それからはこねすぎないよう注意しました。

工房での釉薬のレクチャー
工房での釉薬のレクチャー

——釉薬はどうでしたか。

 工房で最初の1週間に教わったのが釉薬でした。焼き上がった素焼きのテストピースに釉薬を塗り、それを焼成するのですが、厚さによっても出る色が違ってきます。絵の具だと赤は赤ですが、釉薬は想像がつかなくてイライラしました。ですので、途中から音楽を聴きながらやっていました。そのうちテストピースの形状によってどのような色が出るか何となく分かってきました。気持ちをこめてやったから、失敗してもいいやとやったものもあります。偶然に素敵な色が出たものもあります。

作品と見る人の間に生まれる共鳴が嬉しい

——どのような生活リズムだったのですか。

 工房が使えるのは朝9時から午後6時までで、宿舎に戻って夕食をとり、8時に寝ます。午前1時に起きて朝8時まで粘土の造形をして、朝食を食べて工房に出ていく。そんな生活でした。粘土は時間が経つとだんだん固くなっていきます。最初は柔らかく、なかなか形がまとまらない。ときに崩れます。しかし固まってくると結構な力が必要になります。小さなものでも1つ作るのに8時間はかかりました。手術のメスのような金属製の道具をネットで注文し、週末は自宅に戻って、自分で購入した粘土で造形の研究をしました。こうして段々とコツをつかんで、自分の表現に近づいていきました。いいものを造るのが作家の使命で責任だと思っていますので、難しいのも当然だと思います。

——文化展ではどのように作品を見てもらいたいですか。

 陶板も絵画も結局は自分を表現することだと思います。陶板の良さは物質感が強いこととリアルとして存在することです。絵画作品は触れることができませんが、陶板作品は触ることができ、ツルツルとした質感やざらざらとした質感があるため楽しめます。作品の前に立ったとき、見てくれる人が「これ面白いな」とか、「こんなの初めてだ」とか、何らかの精神的なものが喚起されるようだと嬉しいです。また人には日々、喜び、悩み、葛藤があり、私もそうした自分のさまざまな感情や体験を作品に込めています。見る人と私の作品の間に共鳴と共感が生まれるといいですね。
 国際瀧冨士美術賞の受賞は私にとって原点で、折角、招待作家として誘っていただいたので、制作を通して協会に感謝の念を伝えたいとの思いがあります。それとパブリックアート普及振興が協会の活動ですから、上野駅というパブリックな場に設置された私のアートを多くの人に見てもらい、協会の活動を支援できればと思っています。

“余白”の持つ意味と魅力

「Lucy,Anna,Juda,Molly,Zoe...Ning」
「Lucy,Anna,Juda,Molly,Zoe…Ning」第38期国際瀧冨士美術賞応募作品

——国際瀧冨士美術賞でのシュ・ニンさんの受賞作品は、キャンバスをさまざまな色で埋めていました。その後、余白を生かしたものに変わりました。これにはどのような転換があったのでしょう。

 人にはよく余白と言われますが、そのように思っていただいても構わないです。ただ私にとっては余白ではないです。受賞した翌年、大学院1年のときですが、欧州にリサーチにいきました。ベルギーのゲントとブリュージュの美術館で、ヤン・ファン・エイク*¹やハンス・メムリンク*²などフランドル画家の作品を見たのですが、ヤン・ファン・エイクの「子羊の秘密」と「ゲントの祭壇」に深い感銘を受けました。以前、パリでフランドル絵画作品を見たことがあるのですが、このときはまだ美術史を学んでいなかったのでさほど意識していませんでした。しかし改めて見て感じたのは技術的な強さや巧みさだけでなく、献身的な信仰を持ち、崇高なるものを信じで描いていることです。そして聖なる領域が突出していることでした。
 実は欧州に行く前に描きかけの絵がありました。中央部だけを描いて、戻ってからオールオーヴァー*³で表現したいと思っていました。しかし日本に帰って絵を見たとき、このまま見てもらいたいと感じたのです。2018年9月で、このときから絵が変わりました。これが「青春」という絵です。

「青春」
「青春」2018年、oil on canvas、80.3×116.7cm
©︎Xu Ning, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

*1 14世紀末から15世紀半ばにかけた初期フランドル派のフランドル人画家。ブルゴーニュ公フィリップ3世に迎えられ宮廷画家として仕えた。15世紀の北ヨーロッパで重要な画家の1人とみられている。

*2 5世紀後半、ブリュッヘ(現ベルギー)で活躍したフランドル派画家。ヤン・ファン・エイクなどに続く世代で、宗教的な主題を、細部に至るまで徹底した写実表現を貫いた。

*3 「全面を覆う」という意味の絵画用語。米国画家ジャクソン・ポロック(1912年~ 1956年)の、上から塗料を滴らすドリッピングや線を描くポーリングという技法で、画面全体を均質に処理する仕方に使用されるようになった。

——シュ・ニンさんは子供のときから中国で水墨画を習っていたと聞いています。余白と表現させていただきますが、余白を残すのはこの影響もありますか?

 影響はあると思います。私のバックグラウンドは中国で、意識せずとも中国の文化芸術の文脈に影響されています。ただ私の絵の描いてない部分、つまり白地でいえば、私なりの意味づけがあります。人間は生きて行く過程で世の中の習慣や教養や礼儀といったものに染められていきます。ときに生き方を曲げざるを得ないこともあります。それに対してどうしても曲げられない信仰や、染められない純粋な部分は素の部分になります。つまり描いてない部分は、ありのままの『素』です。描かれている部分が魅力的でなければならないのはもちろんですが、描かれていていない部分も魅力的に感じられるようにすることが画家としての私の課題です。描いている部分と描かれていない部分の両方がキャンバスのなかに存在しているのが理想です。

自分のやりたいことを探し求め、画家の道に

——シュ・ニンさんは画家になりたいといつごろから思ったのですか。

 推薦で北京の首都師範大学に入りましたが、美術教育についての授業が中心でした。ただ真面目でなかった作画も卒業制作だけは真剣に取り組み、この作品は高く評価されて、教授の作品の隣に展示されました。私にとって意外なことでした。担任は「あなたは絵の勉強を続けるといいですよ」と言ってくれましたが、その言葉を聞いていないふりにした自分をはっきりと覚えています。若かった自分は先生のアドバイスを素直に受け入れられなかった。しかしこの言葉は私のどこかに強く残ったのだと思います。

「時の舞」
「時の舞」2019年、oil on canvas、80.3×116.7cm シェル美術賞2019入選

——来日してすぐに画家の道に入ったわけではないですね。

 2006年に家族と共に日本での生活が始まりました。杏林大学の留学生別科で日本語を習いました。その後、東京藝術大学の公開講座を受けたのをきっかけに美術予備校を知り、本格的に絵の道を目指し始めました。

——多摩美術大学に入った後、大学院を含めた6年間、シュ・ニンさんは大学を利用し尽くしたと大学のインタビュー*⁴に語っています。貪欲に吸収したのだな、と感じました。

 そうですね。毎朝8時には大学に行って、退構時間ギリギリまでいました。学部、大学院の6年間で必修科目以外にも多くの単位を習得しました。美術史をはじめ講義は面白く、油画に直接関係ない授業も聴講しました。講義を聴くと次から次へとアイデアが湧いてくるのです。よくスーツケースを家から引いて行って、図書館で借りた図録や画集で一杯にして帰りました。講義も制作も楽しく、大学生活は充実していました。

絵でもって世界に貢献したい

「Oil painting in history - Freedom」
「Oil painting in history – Freedom」2020年、oil on canvas、249.7×333.6cm アートアワードトーキョー丸の内2020グランプリ受賞
©︎Xu Ning, Courtesy of Tomio Koyama Gallery

——国際瀧冨士美術賞の受賞以後、次々と賞をとり、これまでの努力と蓄積が一気に花開いた感じです。ご両親も許さんが画家として成果を出していることを喜んでいるのではないですか。

 おそらく両親にとって私が画家になること以上に、自分のやりたいことを見つけるのが重要で、見守ってくれていると感じます。両親が支えてくれていることへの感謝も、私が描き続けていることのバックグランドとして大きいものがあります。

——シュ・ニンさんの将来の夢は何でしょうか。

 私の子供の時、中国で大ヒットした歌が幾つかあります。歌詞には「貢献、奉仕。」という言葉があって、意味がわからなかったにも関わらずとても印象的でした。今、少しずつその言葉を理解できるようになりました。生きることは私にとって、自分の責任を果たし、社会に貢献していくことだと思っています。ですから私の夢は絵画を通してそれを実現していくことです。自分の絵画で人々に精神的なエネルギーとパワーを与えるだけでなく、生きている中での、苦しみ、喜び、感動、葛藤、虚しさ、寂しさというさまざまな感情を感じてもらいたいです。なぜならそれらは人間本来の感情だからです。
 私は今回の文化展の作品に「天下(WORLD)」というタイトルをつけました。それはだれか特定の人の天下でなく、人類全体の天下のことで、共存、共栄の世界のことです。私はそのような世界のために絵画を通して貢献していきたいという目標を持っています。
 

「Season - Letter」
「Season – Letter」2019年、oil on canvas、260.0×388.5cm
©Xu Ning, Courtesy of Tomio Koyama Galleryy
「Season – Letter」
シュ・ニン展「Season – Letter」展示風景(小山登美夫ギャラリー、2021年)
©︎Xu Ning, Courtesy of Tomio Koyama Gallery photo by TAKAHASHI Kenji
撮影:若林亮二

シュ・ニン(許寧)XU Ning

1979年北京生まれ。北京の首都師範大学(油画専攻専科)卒業後、2006年家族とともに日本へ移住。2014年多摩美術大学入学、2017年第38期国際瀧冨士美術賞受賞。2020年多摩美術大学大学院修士課程絵画専攻修了。福沢一郎賞(2018年)、「シェル美術賞2019」入選、辰野登恵子賞(2020年)、「アートアワードトーキョー丸の内2020」グランプリ受賞、2021年第24回岡本太郎現代芸術賞入選。2021年1月には東京・六本木の小山登美夫ギャラリーで個展を開催。現在は神奈川県を拠点に制作活動をおこなっている。


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