日本画家の金丸実華子さんは国際瀧冨士美術賞第36期(2015年)の受賞者です。 東北芸術工科大学大学院を修了後、仕事をもちながら精力的に制作も続けている金丸さんに、当協会は2019年の交通総合文化展の招待作家として、初めての陶板作品に挑戦していただきました。「季(とき)のうねり」と題した作品は、陶板を焼いた上で、それを砕いてコラージュするという金丸さん独特の手法で造られました。真面目に対象に取り組む金丸さんの今後に期待しています。(聞き手・西川恵、取材日・2019年9月)
楽しんで描こう
——いつ頃、アーティストになりたいと思ったのですか。
具体的に考えたのは大学2年生のときです。文化祭で造った100号の作品を買っていただいた方に「あなたの作品にエネルギーを感じて、心惹かれた」と言われました。大きな作品が、誰かの手に渡って飾ってくれる。作品が手元を離れる寂しさもありましたが、「自分の描く作品がその人の人生にかかわり、元気づけてくれればいいな」と思ったのがきっかけです。
——絵を描く上で転機となったことはありますか。
中学校の美術の先生が「楽しんで描いて」という人で、1年生で習ったあと産休に入られて、3年生で戻ってきたとき、「楽しんで描いてないでしょう」とズバリ言われてびっくりしました。ちょうど悩んでいたときで、見抜かれてしまった。ポスターでは賞を取っていたのですが、自分の好きなものを形にする力がなくて、このポスターだったらこういう内容かなとか、そんなことを考えながら描いてしまう人間だった。同級生には「金丸はうまい」と言われ、プレッシャーに押しつぶされそうでした。
——パターン化したポスターを作っていたのですか。
そうですね。動物愛護だったら、いかにもそれらしくパターンにはまったものを描く。ですから、自分は依頼を受けて描くのが得意なのかな、と思っていました。でも、本当は自分の中にあるものを描きたいと思いながら悶々としていたのを、先生に見抜かれました。この恩師は、卒業のときの色紙に「アーティストは自分に厳しくしないとどこまでもズブズブ行く世界だから、楽しく頑張ってね」と書いてくれました。それからは、楽しく描こうと心に決めました。大学のときの先生ともウマがあって、「楽しく描こうぜ」という人で、いい先生に恵まれました。
顔料の美しさに惹かれて日本画へ
——日本画を志したのはいつですか。
高崎経済大学付属高校の美術コースでは油絵だったのですが、東京藝術大学の卒業制作展で日本画を見て、その美しさに心動かされました。友人には「金丸にあの繊細な日本画が描けるのか」と言われましたが、最終的には繊細系ではなく、楽しい感じの作品へと行きつきました。惹かれたのは、混ざりきらない日本画の顔料の美しさです。私は色がどうしても濁ってしまうところがありましたが、日本画の顔料だと粒子の反射がきれいで、あの美しさに心が動かされました。
——国際瀧冨士美術賞に応募したきっかけは何ですか。
東北芸術工科大学に入ったときは人物画を描きたくて、パブリックアートに進むとは思わなかった。ただ、大学の裏に山があり、自然が豊かでのんびりした空間が広がっていて、そちらの方を描きたくなりました。また、昔はパブリックアートがあまり好きではなかったですが、気付いたら身近にある存在となっていました。街に溶け込んでいて、そこを歩くと元気になる。すごいな~と思う機会が増えていきました。そんなとき、パブリックアートを担う若手芸術家を育てることを目的とした国際瀧冨士美術賞の募集を大学構内で見て、「あ、これだ!」と思い、急いで資料を作り、指導教授末永敏明先生の推薦文をもらって投函しました。しかし、投函する段になって私は大学3年で、応募資格は大学4年生だと気付きました。案の定、受け付けてもらえなかったのですが、翌年改めて応募し、受賞しました。
——授賞式のときに、ステンドグラスと陶板レリーフのパブリックアートを造っているクレアーレ熱海ゆがわら工房を見学されましたが、どうでしたか。
工房見学に行く前はステンドグラス、ステンドグラスと思っていたのですが、工房で片岡球子先生*¹の陶板*²の修復を見て、その力強さに圧倒されました。改めて、こんなパブリックアートがあったのだと気付かされました。
*1 日本を代表する女流日本画家で、2008年に103歳で没。強い個性で日本的イメージを鮮烈な色彩で大胆に表現した。
*2 「池袋サンシャイン60」に1978年に設置された陶板レリーフ「江戸の四季」。修復後、同ビル1階の入り口正面に飾られている。
手から造り出される奥深い世界
——2019年の交通総合文化展では、陶板を使った作品をクレアーレ工房で造っていただきました。
陶板は見学したときから使いたかった素材です。最初はあまり粘土の厚みの差がない方が目地が埋めやすいと考え、薄い粘土の表面に模様をつけるだけでした。そうしたら工房の方に、「そんなの面白くないよ。粘土の意味がないよ。もっと思いっきり楽しくやらないと」と言われました。粘土の厚みが変わっていき、指の形が残るほど力を入れて造り始めると、自由度が増しました。最初は頭で考えて造っていたのでしょう。その方の言葉がなかったら、のっぺりした作品になっていたと思います。陶板を造りながら『手は最高の道具』という誰かの言葉通りだなと改めて思いました。
釉薬も楽しかったですが、難しかったです。テストピース通り釉薬をかけたつもりでも、その厚みによって違った色が出るので、焼成してみなければ分からない。青はきれいな色が出るのに、赤やピンクは気持ちのいい色を出すのに苦労しました。でも、何個か気に入った色が出てくれるとうれしかったです。私が触れたのはその中のほんの一部でしたが、本当に奥が深い世界だなと思いました。今後の作品造りに生かしていきたいです。
——卒業して、いまはどのような仕事をされているのですか。
新居を引き渡しする前に、木部やアルミ部分に付いた傷を補修して綺麗にする仕事をしています。この補修技術を作品に生かせたら楽しいだろうなと思っています。経年劣化を抑えて変化を受けにくい作品を造れないかとか、自分が補修に使っている材料や道具を見ながら考えています。
——金丸さんは真面目に対象に取り組む性格ですね。
そうかも知れません。人に寄り添う作品や、生活の中に入れるような絵を描いていきたい。ただ、パブリックアートにも大きな関心があり、立体に対しての憧れもあります。いつか依頼がくるようなでっかいアーティストになるぞ、と思っています。
金丸 実華子かねまる みかこ
1993年群馬県生まれ。2011年東北芸術工科大学入学。15年第36期国際瀧冨士美術賞受賞。18年同大大学院修士課程日本画領域終了。16年三菱商事アート・ゲート・プログラム授与。17年壁画デザイン公募入選。19年「JAPAN CIDER AWARD2019」ラベル部門金賞受賞。18年、GALLERY ART POINTにて個展開催、そのほか個展、グループ展にも多数参加。19年交通総合文化展の招待作家としてパブリックアート「季のうねり」を手掛けた。