国際瀧冨士美術賞 第20期受賞者
内海 聖史 UCHIUMI Satoshi

国際瀧冨士美術賞 第20期受賞者:内海 聖史

国際瀧冨士美術賞 第20期受賞者
内海 聖史 UCHIUMI Satoshi

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インタビュー

画家の内海聖史さんは虎ノ門ヒルズやパレスホテル東京などの多くの公共空間にアートを制作し、また空間を一杯に使ったスケールの絵や、平面作品の枠組みを壊すような実験的な作品でも知られた注目の若手アーティストです。国際瀧冨士美術賞の第20期(1999年)の受賞者でもある内海さんに制作の根底にある思いを聞きました。(聞き手・西川恵、取材日・2018年5月)

美大生から画家へ舵を切るまで

内海聖史さん
内海聖史さん クレアーレ熱海ゆがわら工房で
国際瀧冨士美術賞応募作品「フーフー」
国際瀧冨士美術賞応募作品「フーフー」

——アーティストになろうと思ったきっかけは何ですか。

 実際に画家になると決めたのは大学卒業のずっと後のことですが、高校のときはあまり人に迷惑にならないことをしたいと思っていました。たとえば、医者だとミスをすると患者の人生に影響を与えますよね。美術は人に迷惑をかけず、自分でケリがつけられると考えていました。いまとなってはアーティストは視覚的、感覚的、社会的に影響を及ぼす責任ある仕事と思っているのですが、当時は後ろ向きな選び方でした。自分に自信が無かったので。

——高校は普通高校だったのですね。

 地域の普通校でしたが、美術の顧問に茨城県出身の野沢二郎先生*¹という画家がいて、その影響を受けました。いまでは同世代の抽象表現の作家の中ではトップクラスで、VOCA展や美術館の展示に定期的に選ばれるような人ですが、当時は放課後に美術部のアトリエで絵を描いていました。個展が近づくとみるみる痩せていく、真剣に制作している姿に、制作とはこんなふうにやるのだと思いました。

——内海さんは評価されていたのですか。

 僕はある程度器用だったのですが、最初のデッサンのとき、描いたものを見せにいくとパーッとガーゼで消されて「明日ここからもう1度描いて」と言われました。翌日描き直して持って行くと、また消される。そんなことを1ヵ月繰り返していました。いま思うとうまく量感を残して消してくれていて、「ここから描いたらよくなるよ」ということだったのですが、当時は何が悪いのかも分からず、「絵画制作って大変だな」と実感しました。それまでの経験で絵は2、3時間もあれば描けるものだと思っていたのですが、絵画とは長い思考で造っていくものだと分かって衝撃を受けましたし、面白いなと感じました。

*1 茨城県出身。筑波大学大学院芸術研究科を修了。油絵具での抽象画を得意とする。

2012年「色彩の下」(パレスホテル東京)
「色彩の下」 2012年 パレスホテル東京 (東京)撮影:加藤健
2016年 「室内の木星」作品3
「室内の木星」作品3 2016年 ギャラリエアンドウ(東京) 撮影:加藤健

——大学は多摩美術大学ですね。自然と油絵に行ったのですか。

 油絵を選んだのは偶然で、他に知らなかったからです。大学時代はパフォーマンスをしたり、立体的なものを造ったり、いろいろ手を出しましたが、僕はライブ的にものごとをするのが得意ではない。なるべくしっかり準備して、考えられることは考え尽くして作品を出したいと気が付きました。

——多摩美大に4年、大学院に2年いましたが、アルバイトしながらですか。

 基本的に仕送りの中でどう暮らしていくか、というところでやっていました。生活ができれば何かしら造れると考えていました。もし、お金がなければ絵具や素材を安くしていけばいい。ただ、個展は在学中にやっておかないと先になったらできないと思い、その分はアルバイトでお金を貯め、大学3年生から大学院を卒業するまで毎年、計4回しました。そのほか、展示に誘われたらなるべく参加しましたし、公募展にもなるべく応募しました。そうはいっても、誘っていただいたギャラリー、美術館でやっても売れる訳ではないので、経済的には成立していない状態でやっていました。

——第20期国際瀧冨士美術賞に応募されたのもその一環ですね。

 大学に貼ってあったポスターを見て、応募しました。授賞式のために副賞の10万円でスーツを買った記憶があり、残りは制作のために絵具を買ったと思います。授賞式では美味しい料理を食べたことと、こんなに大々的に式をするのだということが印象に残っています。

2017年 「遠くの絵画」 (横浜市YCCギャラリー)
「遠くの絵画」2017年 YCC Gallery/ YCC ヨコハマ創造都市センター(神奈川) 撮影:加藤健

——内海さんはどのような画家になりたいと思ったのですか。

 『ドラえもん』の漫画の中に路上で絵を売っている売れない画家が出てきますが、これが自分の中にある画家のロールモデルでした。売れなくて、しょぼくれていて、何でもない人ですね。もともと後ろ向きに制作を選んだので。ただ毎日絵を描くためには、作品をきちんと流通させないといけないという当たり前のことに遅まきながら気がつきました。最終的に画家を志したのは卒業して大分経ってからです。2004年の個展で絵を購入してくれる人が何人かいたことで、「もしかして、ちゃんと考え、ちゃんとやっていけば食べていけるかもしれない」と思い、ようやく画家へ舵を切った感じです。その頃、大型彫刻を制作している人で、美術の世界ではほとんど知られていないのに作家として立っている人がいると聞いて、作家としての名声よりも制作に没頭することで生きられる選択肢があるのであれば、それは素晴らしいと思いました。

——節目となる時期はありましたか。

 特に節目はないのですが、その時々で必要な課題を与えていただけたと思っています。大学時代から個展やグループ展等で活動していくなかで、良いタイミングで緊張感のある個展をいただいたり、また力を付けなければならない時に運よく大きな仕事をいただいたりと、常に自分の力量を上回る仕事をいただけたことでいま画家としてやっていけているのかなと思います。

交通総合文化展の作品

——2018年秋の交通総合文化展*²にステンドグラスを使った作品の制作をお願いしましたが、展示場の制約もあって、いろいろ考えていただきました。普通、アーティストは自分の考えの枠に入らないと断るものですが、内海さんは柔軟ですね。

 僕は美術と明確に出会ったのは高校時代なので、出会いが遅かった自覚があります。ということは、美術が自分の身近な場になくても問題無く日常がある状態を知っています。だから逆に、美術をやっていくとどんな景色が見えるのか興味があります。また自分が何も知らない状態からアートの世界に入ったから、まずやってみないと分からない。ですから、頼まれたことは時間がある限りなるべく引き受けていこうと思っています。ステンドグラスを使った仕事も、これは絵ではないからと断るのではなく、とりあえずやってみて、いろいろ考えて、無理だとなったら次から止めればいいと思っていました。

*2 日本交通文化協会が毎年10月、JR上野駅で催している展覧会。10月14日の「鉄道の日」に合わせて6日間開かれる。

「頭上の色彩」ステンドグラス片を素材にしたアート
交通総合文化展2018招待作家作品「頭上の色彩」撮影:加藤 健
「頭上の色彩」ステンドグラス片を素材にしたアート
「頭上の色彩」のステンドグラス片を素材とした作品 撮影:加藤 健
「頭上の色彩」ステンドグラス片を素材にしたアート
枠の中にはステンドグラス片が散りばめられている 撮影:加藤 健

——ガラスという素材を初めて使われて、発見はありましたか。

 油絵具はチューブから出せば描ける状態になるのですが、ガラスは実制作をするまでの準備や下絵に多くの時間を割き、制作のタイムテーブルが違います。また、油絵具は下の色を潰しながら描けるのに対し、ガラスは下絵を完了させて制作作業がスタートした後の差し引きがあまり出来ないところが全く違います。自分の制作の思考パターンは、使っている材料に大きく依存しているのだと改めて気付きました。 今回はガラスを油絵の描画に引き寄せて、「うぞうぞ」とした感じとガラス特有の硬質な感じが同時に見えればよいなと思いました。

「頭上の色彩」アップ
「頭上の色彩」アップ(部分)撮影:加藤 健
クレアーレ熱海ゆがわら工房にて

空間をも作品にする

——アーティストには二つのタイプがあると思います。見る人にメッセージを伝えたいというタイプ、もう一つは、見る人それぞれに感じてくれればいいというタイプ。内海さんはどちらですか。

 僕は表現の中で自分を発信するのではなくて、絵の中で自分をどれだけ消せるかということでやっています。僕のタッチというより人のタッチ、人間の総体の感覚みたいな感じで制作したい。僕には自分が素晴らしいセンスを持って生まれたという思いがなく、凡庸な自分を消していった方がいいものができると何となく考えています。僕だからこの表現ができたというより、ガラスだからこうなった、絵具だからこうなったという形にしたい。何なら僕のこと忘れちゃっていいよ、と。僕ではなく絵だけ見てくれればいい、と。

——押し付けがましくないですね。

 たとえばレストランに行っても主な目的は食事や会話であって、僕の絵を見る必要はない。背景としてあればいいと思います。大学時代に個展で造った作品も、「彼の背景」とか「彼のいる場所」といった背景を示唆するタイトルをよくつけていました。ただ、絵画は「観る」ことがどうしようもなく宿命付けられている存在なので、その特色を考えることで空間を造ることはできると思っています。たとえば見えない場所に絵を展示すると、人には見たいという意識が働いて目がそちらに向かいます。そうすると見えない絵の手前までの空間が顕になる。つまり、絵をわざと見えなくすることで空間を見せることができます。
 僕は作品を大きなスケールにすることが多いのですが、大きくするのは目立たせるためでなく、作品の外縁が見えなくなることで、作品とそれ以外の空間の差が曖昧になることを意識しています。つまり、作品が大きくなると空間に近づき、作品と空間の乖離が薄まるような感覚がある。虎ノ門ヒルズの作品*³はそういうところを利用していて、大きな画面にすることで小さい絵をいくつか置くよりも、「絵画という物質を観ている」という感覚を減らすことができて、空間に近づくことができる。そうすると「観る」と強制されていたものが軽減されるので、作品よりも空間に目が行きます。そうなった方が僕は心地よい。もちろん作品はきちんと描き込みます。きちんと仕事をした上で、空間を浮かび上がらせるために作品の存在を消すという感じです。

*3 東京・虎ノ門ヒルズのエントランス車寄せに2014年に設置された「あたらしい水」と題された長さ約27m、5分割された巨大な油彩画。作品写真は下に掲載。

2014年 「あたらしい水」 虎ノ門ヒルズ1Fロビー(東京)
「あたらしい水」 2014年 虎ノ門ヒルズ1Fロビー(東京) 撮影:加藤健

——内海さんはパブリックアート向きですね。

 個人からご注文をいただくこともありますが、パブリックアートもある程度手掛けさせていただいた経験から、結果的に制作の意識がパブリックアートに向いているといえるかもしれません。というのも、鑑賞者が僕という個人にチューニングを合わせる必要のない表現なので、作家のことなど考えずに観てもらえたらよいので。
 個人向けとパブリックなものとでは作り方が違っていて、パブリックアートはそこを通る100人全員を意識しますが、個人に対しては、たとえばその人が緑が好きならば緑をその方にダイレクトに差し込んでいく。戦い方が違います。さまざまな仕事をすることで、シチュエーションに応じて絵画を多角的に考えることができて、とても面白く感じています。

2017年 「ふり仰ぐ色」 (帝京大学医学部附属溝口病院)
「ふり仰ぐ色」 2017年 帝京大学医学部附属溝口病院(神奈川) 撮影:加藤健

——画壇で人脈は多いのですか。

 僕は美術展のオープニングなどに行かないので、学芸員や美術関係の知い合いが少ないと思います。それでも制作を継続していると、2、3年後に返ってくる感じです。仕事を持ってきてくれた人に「どこで僕の作品を観たのですか」と聞くと、3年前、5年前に観てくれている。ただ、その後にその人と深く交流するかというと、そういうことは少ないです。ずっと制作しているので、出歩けないというのもありますが。それでもコンスタントに仕事をいただけているのはありがたいです。

——今後、こういうことをしたいということはありますか。

 大きい仕事をしたいなと思っています、大きな画面、大きなスケールという意味ですが。個人的には大画面を造ると自分に筋力がつくという感覚があります。虎ノ門ヒルズはかなり大きい仕事で、「絵画とはこういうことができるのだ」という新たな発見があって面白かったです。山で未踏のルートを自分の知力と経験と体力で踏破したような感覚があります。

——仕事をすると勉強になるということですね。

 そうです。やっていることはとてもシンプルなので、ともすれば飽きやすい。ただ、そこに手を動かし続け考えることで、絵にはこんな側面があったのだなと常に何かを発見したいです。文化展のガラスの作品も、年初にはこういうことをやるとは思っていなかったので、制作を通じて何かを拾いたいと思っています。常に、2、3年前の自分はこういうことをしているとは思ってもいなかったという仕事をしていたいです。

「moon satellite」 2016年 茨城県北芸術祭(茨城) 撮影:加藤健
2018年 六本木ヒルズA/Dギャラリー(東京) 撮影:加藤健
「mimic paintings」 2018年 六本木ヒルズA/Dギャラリー(東京) 撮影:加藤健

内海 聖史うちうみ さとし

1977年茨城県生まれ。96年多摩美術大学入学。99年第20期国際瀧冨士美術賞記念賞を受賞。2002年同大学大学院美術研究科修了。空間全体を使った絵や平面作品の枠組みを壊すような実験的な作品でも知られる、現代の抽象絵画界を牽引する若手世代の旗手。20年YCCヨコハマ創造都市センター「遠くの絵画」、19年上野の森美館ギャラリー「やわらかな絵画」などの個展やグループ展を数多く開催。また、虎ノ門ヒルズやパレスホテル東京などの公共空間にパブリックアートを多数手がけている。


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