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仙台空港「金華童子風神雷神ヲ従エテ波濤ヲ越ユルノ図」
きんかどうじふうじんらいじんをしたがえてはとうをこゆるのず
陶板レリーフ

陶板レリーフ「金華童子風神雷神ヲ従エテ波濤ヲ越ユルノ図」 原画・監修:大友克洋
仙台空港 旅客ターミナルビル1階 国際線到着ロビー 2015年3月12日完成 ※この作品は、宝くじの社会貢献広報事業として助成を受け整備されたものです。 原画を見る

制作風景

作家より

大友克洋漫画家、映画監督震災後の制作でしたので、自分なりには祈り、鎮魂という気持ちもありましたが、
それに流されないようにエンターテイメント性がある、ストーリーを感じさせるような作品にして、
世界から訪れる人々がこの壁画に触れて、楽しんでもらえるようにしたいと思いました。
風神雷神を引き連れた少年が波濤を越えて、未来に向かっていくという図の中に、
困難に対しても勇気をもって立ち向かって行ってほしい、という想いを込めました。
小さな子どもが関心を持ち、親子で震災と復興の話をするきっかけになるといいなと思います。

制作ノート

メカニカルな金魚に跨った金華童子が、風神と雷神を従えて波濤を越えて祥雲を招く姿が描かれており、未来を担う子供たちが、現代の叡智とともに自然がもつ大いなる力に立ち向かい、困難に対しても勇気を持って前に進む姿がイメージされています。
原画を基に完成イメージを膨らませながらエスキース(縮小模型)を制作し、壁画としての造形が作家の意図したものと合致しているかどうか入念に打合せが行われました。また、この段階から釉薬テストが繰り返され使用される釉薬の種類が検討されました。金魚の目の部分にはメカニカルなイメージを出すためにガラスが使われています。

作品によせて

宮城県知事
村井嘉浩
この度、公益財団法人 日本交通文化協会のご協力により、仙台空港 旅客ターミナルビル1階 国際線到着ロビーに、宮城県登米市ご出身で世界的に活躍されている漫画家・大友克洋先生の原画を基に制作された陶板壁画「金華童子風神雷神ヲ従エテ波濤ヲ越ユルノ図」が設置されることとなりました。大友克洋先生はじめ、壁画の制作・設置にご尽力いただきました関係者の皆様方に対しまして、深く敬意と感謝の意を表します。
金華童子が風神雷神を従えて、大いなる自然に向き合い、荒波を乗り越えて行く姿が描かれているこの壁画は、東日本大震災からの復旧・復興に向け、一丸となって取り組んでいる宮城県民をはじめ、仙台空港を訪れる多くの皆様に勇気と活力を与えていただけるものと確信しております。
仙台空港は、1957年(昭和32年)に最初の民間定期便が就航して以来、宮城県・東北地方の空の玄関口としての役割を果たして参りましたが、仙台空港を核とした経済交流の活性化をさらに進めるため、2016年(平成28年)には、民間事業者による空港運営が始まります。宮城県では、将来的な年間旅客数を600万人に倍増させる目標を掲げており、航空ネットワークの充実はもとより利用者のさらなる利便性向上に努めて参りますので、引き続きご支援・ご協力を賜りますようお願い申し上げます。

公益財団法人日本交通文化協会 理事長
滝久雄
日本交通文化協会は、1948年の設立以来、芸術・文化の振興のために積極的な取り組みを続けてきました。事業の柱となっているのは、「交通総合文化展」に代表される展覧会事業、「瀧冨士基金」「国際瀧冨士美術賞」に代表される育英事業、そしてパブリックアートの普及・振興事業です。
それらの事業に取り組む私たちの思いを代弁してくれる言葉があります。ハーバート・リードの『芸術の意味』の中に記された次の一文です。
「今、我々に欠けているのは芸術家ではない。大衆である。芸術に意識を持つ大衆ではない。無意識的に芸術的な大衆である」
私たちは、公共の空間に設置されるステンドグラスや陶板レリーフによる作品によって「誰もが無意識的に芸術に触れられる環境」が生まれ、ゆとりや潤いのある社会を実現する一助になることを願って事業を続けています。
今後、当協会ではわが国の芸術・文化の振興により一層の貢献をすべく、大学院大学を中心とする芸術アカデミー構想、さらには「1%フォー・アーツ」制度化へ向けた取り組み等を積極的に推進していきたいと考えています。
今回の仙台空港の作品にご協力いただいた多くの皆様に深く感謝するとともに、パブリックアートの普及をはじめ当協会の取り組みに変わらぬご理解とご協力をお願いいたします。

漫画家、エッセイスト、漫画批評家
夏目房之介
70年代中頃、大友克洋が登場し、我々に与えた衝撃を何と表現したらいいだろう。
「我々」は、戦後ベビーブーマーの中から生まれた「マンガ青年」という、マンガを読み、描き、編集するアマチュアや半プロの男女の集団だった。それまでのマンガを愛しつつ、しかし何かまったく違う可能性の塊としてのマンガを胸に秘め、おまけにそれが何であるか誰も知らなかった。
ある者はつげ義春に、『あしたのジョー』に、宮谷一彦に、萩尾望都に、エロ劇画に可能性を見出し、夢中になって言葉を編み出そうとした。70年代後半期、それらの言葉は「マンガ批評」とよばれ始め、先行世代のマンガ言説を問答無用で切り捨てて行く。
誰かが、当時可能性と思われたマンガたちを「ニューウェーブ」とよび、その中心に大友克洋がいた。彼がいなければ「ニューウェーブ」はただの雑誌の煽り文句に過ぎなかったかも知れない。が、大友は間違いなく新しく、可能性の塊を体現していた。
我々は大友克洋に真っ向から正眼で斬られたのである。
『AKIRA』(1982ー90年)で彼がメジャー化し、今に至る「大友神話」を確立したとき、我々はすでに創世記マイナーレーベルのモーゼとして大友を神話化していた。ニュー・シネマ的な展開で描かれた70年代大友短編群の斬れ味は、まるで斬鉄剣のように既存のマンガのロマンや説話法を一太刀で斬り、解体し、80年をまたぐ頃にはすでに再構築に向かっていた。孤影軽やかに歩を進める大友に誰一人追いつけなかった。

大友は、1954(昭和29)年4月、宮城県登米市に生まれ、73年、19歳で「週刊漫画アクション増刊」『銃声』にてデビュー。以後発表される短編は、「劇画」とよばれた黒っぽい、やたら動線を描き込み、ザラッとした線描で擬音を多用するような当時の「青年マンガ」の逆を行き、画面は白っぽく、人物も風景も同じ細い均質な線で描き、何よりも世界へのまなざしが醒めていた。我々「マンガ青年」にとってそれは、それまでマンガとされてきたイメージを「消去」するワンクリックのように作用し、時代がはっきりと転回したことの象徴のように思えた。
この出来事は、戦後マンガ世代の中から、その後のマンガを占う作家が登場したことを意味し、我々は大友の歩む先を一瞬も見逃すまいと凝視していた。
大友が『鉄腕アトム』へのオマージュともいえる『fire-ball』(79年)を描き、キューブリックのホラーのような『童夢』や矢作俊彦原作のどたばたポリティカル・フィクション『気分はもう戦争』(共に80ー81年)を描いた頃、ようやく我々は時代の転回が一段落し、次へ進まねばならない時期にあることを感じたのだ。
この頃、我々の後続マンガ世代(60年前後生まれの、いわゆる「おたく第一世代」)がリアルタイム読者として大友に追いつき、82年、定着しつつあった大手青年マンガ誌での『AKIRA』連載で一気に大友はメジャー化する。そして88年、手塚治虫と昭和天皇がいなくなる前年に、自ら監督した劇場アニメ『AKIRA』が公開され、今度は世界に知られる作家となってゆく。フランスを代表するコミック・アーティストだったメビウスとの交流や相互影響が語られるようになるのは、それ以後のことだ。
大友の絵は、すでに色鮮やかな色彩を獲得し、万華鏡のような造形の遊びを繰り広げ、紙とフィルムの上で世界水準に達していた。92年、彩色された『AKIRA』米国版コミックスがアイズナー賞を獲得、2005年仏政府より芸術文化勲章シュバリエ、14年に同オフィシェ賞、15年にはアングレーム国際漫画祭最優秀賞を授与されている。

十代の終わりに大友克洋に出会い、手塚治虫の影響を脱してマンガ家への道を歩みだした60年生まれの浦沢直樹は、大友を通じてメビウスを知り、そのほとんどのコミックスを持っているという。
生前のメビウスが来日した2009年、明治大学主催のシンポジウムで私は浦沢とともにメビウスとトークをした。その場でメビウスは、昔来日したとき、『AKIRA』以前の大友に強い印象を受け〈まるで学生に戻ったかのように研究〉※2 したと言明している。大友は浦沢や荒木飛呂彦など多くの漫画家に影響を与え、同時にメビウスの存在を知らしめ、いわば大友-メビウスの環が日本と世界をつなげたことが明らかになった。
メビウスと大友は、世界のコミックスが新しい可能性を求めて変化していた時代を共に生き、ともにマンガという視覚表現の可能性によって我々に影響を与えていた。
1950年生まれの私が、時代の中で大友に出会った体験を主観的な思い入れで今語ることに意味があるとすれば、神話をさらに塗布したいからではない。「我々」があのとき感じた時代的な「可能性」には、世界につながる環も含まれていたかもしれないと、今思うからだ。そのことを、もう少し客観的に相対化して語る作業は別の機会に譲りたい。

2012年、原画展示に消極的だった大友が初めて本格的な原画展「大友克洋GENGA展」を開く。が、その準備中に東日本大震災が起こった。大友は急遽、収益の一部を東日本大震災の救援にあて、展示する原画枚数も増やした。
今回の陶板壁画『金華童子風神雷神ヲ従エテ波濤ヲ超ユルノ図』にも、その思いがこめられているだろう。同作、風神雷神という自然の力の中にいる幼童は、『童夢』など大友作品にしばしば現れるモティーフであると同時に、彼の次世代への思いでもあろうか。マンガの可能性は、その作品や表現の中にだけあるのではなく、我々の生きる時代と社会の中にある。

作品データ

原画・監修大友克洋 企画日本交通文化協会
場所仙台空港 旅客ターミナルビル1階 国際線到着ロビー マップ 製作クレアーレ熱海ゆがわら工房
設置時期2015年 3月12日 ニュース漫画「AKIRA」等で有名な大友克洋さんが原画制作と監修を担当した仙台空港陶板レリーフがお披露目
種類陶板レリーフ
サイズ幅 約8.7m × 高さ 約2.8m
キーワード童子 、メカ金魚 、波濤 、風神 、雷神

作品データ

原画・監修大友克洋
場所仙台空港 旅客ターミナルビル1階 国際線到着ロビー マップ
設置時期2015年3月12日
種類陶板レリーフ
サイズ幅 約8.7m × 高さ 約2.8m
キーワード童子 、メカ金魚 、波濤 、風神 、雷神
企画日本交通文化協会
製作クレアーレ熱海ゆがわら工房
ニュース漫画「AKIRA」等で有名な大友克洋さんが原画制作と監修を担当した仙台空港陶板レリーフがお披露目

マップ

この付近のパブリックアート

ステンドグラス
1978年 6月8日
仙台駅
「杜の讃歌」
(14.2km)
MAP >

陶板レリーフ
1989年 7月
仙台法務総合庁舎
「陸奥早春」
(14.5km)
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